更新日:2025年11月19日 18:07
エンタメ

フワちゃん「プロレスで活動再開」に立ちはだかる“ふたつの壁”。封印した“才能”こそ最大の武器だった?

プロレスが「ゴシップ」として消費されてしまう懸念も


 ここまでは、プロレスを好きで観る人の視点から考えてみました。もう一つの視点は、プロレスに関心がない人たちから見て、プロレスをするフワちゃんがどう見えるのか、という問題です。  タレント時代の奔放な言動や、時に平気で無礼を働くフワちゃんを知っている人たちからは、「敬語を覚えて」、真剣にプロレスに取り組む彼女の現状は、プロレスを通じて人格を作り直しているように見えるはずです。つまり、フワちゃんはプロレスで更生しているのだと。  そして、更生の道を歩むストーリーの過程では、プロレスですから殴られたり蹴られたり投げ飛ばされたりします。これが、プロレスに関心のない層からすると制裁を受けているように映り、ややもすると禊を果たそうとしているように見えるのではないか。そんな懸念が生じます。  “昔フワちゃんはこんな悪いことをしました。けれども、今はこうして苦行に耐えて頑張っています”というメッセージが、どうしてもプロレスの試合の行間ににじんでしまうのですね。  つまり、「フワちゃん」という固有名詞がある限り、“フワちゃん>プロレス”の関係性から逃れることはできないのです。  北斗晶氏の、もしも本当にプロレスに真剣に取り組む気があるのなら、名前も本名にして、髪型もタレント時代の面影を残さない方がよかった、という発言の主旨には、プロレスがゴシップとして消費されてしまうことへの疑問があったのでしょう。それは正しい認識だと思います。  以上、プロレス的、そして一般目線から考えてみました。いずれにせよ、プロレスラー、フワちゃんは、極めて困難なバランスを取ることを強いられるでしょう。  それは、タレント時代よりも厳しい戦いになるはずです。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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