人気絶頂期に相方が逮捕、次の相方は急逝。“デスノート”と呼ばれた芸人が、それでもポジティブに生きられるワケ
人気芸人から一転、相方の逮捕で奈落の底へ
――ほかにも仕事に影響はありましたか?
松丘:決まっていた文化祭の営業が25校くらいあったのに全部キャンセル。しかも事務所からは「家から一歩も出るな」と言われた。家でずっとテレビを観ていたら、ワイドショーで事件を取り上げていた。僕が変な客のコント映像が流れたんですが、どう見ても捕まったのが僕みたいじゃないですか(笑)。給料も営業で100万のはずがゼロになった。「うわぁ、まじか。生活ができない」って思いました。
――まさに芸人存続の危機ですね。
松丘:1週間後に、事務所から『マネージャーにならないか』って打診があった。まだ芸人をやりたいって思いがあった。そんな時に、フォークダンスDE成子坂さんを解散していた渚さんから「一緒にコンビを組まないか」って誘われた。本当は事務所に残るつもりだったけれど、新人と一緒の扱いで、ライブの椅子出しやチケットのもぎりからって言われて辞めました。
――またゼロスタートになるので、大変ですよね。
松丘:仲が良かった泰造さんから、ネプチューンさんの元マネージャーが始めたSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)を紹介してもらった。今は錦鯉さんとかハリウッドザコシショウさん、バイきんぐさんとかいるけれど、当時はもうクソでしたね(笑)。“こんな奴、売れないよ”っていう芸人しかいなかった。
――事務所やコンビが新しくなることで、結局はキャリアが一からになってしまう後悔はなかったですか?
松丘:なかったですね。よく芸歴を言う時に“吉本で言うと何期”っていうのを基準にしているらしくて。もう僕は何期かわからないですけれど(笑)。
――お笑いの仕事以外の副業を始めたのは、いつ頃からですか?
松丘:相方が捕まって給料がゼロになった時からです。事務所からいくらか貰えないかなって思ったけれど、まったく貰えなくて(笑)。芸人仲間がポスティングのバイトをしているって聞いたので、僕も始めました。顔が知れ渡っていても帽子を被ってできるし、人と会わないから良かったですね。
村田渚さんと新コンビ結成。M-1で高評価も今度は相方が急逝
――村田渚さんと鼻エンジンを組まれますが、またお笑いをやろうって思ったのはどうしてですか?
松丘:渚さんと組むなら、未来は明るいかなって思っていました。新しい事務所でネタを見せてもすごく褒められた。しかもコンビを組んで半年で、『M-1グランプリ』の準決勝まで進んだ。そこからは自信をもってやっていました。
――そこで、村田さんが急逝してしまうのですよね。
松丘:準決勝に進んだ翌年はシードで2回戦からだったのですが、その時の点数が全国1位だったらしいんです。会場でも過去最高にウケていました。『さあ、これで決勝まで行くぞ』って意気込んでいた時に、彼が3回戦の1週間前に亡くなったんですよ(注:2006年11月11日、くも膜下出血のため逝去)。
――周りから見ていて予兆とかありましたか?
松丘:じつはありました。 亡くなる1か月前によく「頭が痛い」って言っていた。亡くなる2週間前には、白目の部分に針でポンって刺したみたいな血の塊みたいなのがバーって出てきたんです。渚さんから「これ、目立つかな」って見せられた。「なんですか、それ」って驚いたけれど、「大丈夫じゃないですか」みたいに返しました。それが亡くなる3、4日前に、その赤い部分が消えた。「ちょっと見て。治ったわ」って言っていた。後で聞いた話ですけど、それがサインらしいです。
――それは知らなかったです……。
松丘:普通は知らないですよね。その時、目が赤いだけって思わないで、病院に行けば良かったかもしれないですけれど。彼とは金曜日に仕事で会ったのが最後で、会わなかった土曜の夜に亡くなったみたいでした。日曜日に仕事に来ないからおかしいなって。何度も電話しても出ない。管理人さんに部屋を開けてもらったら、すでに亡くなっていた。そこからまた地獄ですよ。地獄の二丁目です……。
――まさにこれからっていうタイミングでしたよね。
松丘:相方が亡くなったのでもう無理だって思って、今度は芸人を辞めようと決意した。でも渚さんのお母さんから「渚が亡くなったからといって辞めないで続けてくれた方が嬉しいし、渚も喜ぶと思う」って言われて。そうか、辞められないなって思いました。そこからピン芸人を半年くらいやって、実力がないから辞めたっていう言い訳を作ろうって考えた。
出版社やWeb媒体の編集者を経て、フリーライターに。趣味はプロレス観戦。ライブハウスに通い続けて四半世紀以上。家族で音楽フェスに行くのが幸せ。X(旧Twitter):@rizeneration
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