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大学中退してパチプロに…50歳男性の「その後の人生」。幸せな同級生たちが“見えないプレッシャー”に…――大反響セレクション

初めての海外はアメリカへ

パチンコ その後、実際に海外に旅立った武井さん。S先輩のアドバイスもあって、最初はアメリカ・サンフランシスコに行ったようだ。 「タイとかインドを進められると思ったんですが、アメリカを勧められました。その理由を聞いたら『1か月くらいブラブラしたら、ある程度英語ができるようになるから』って。英語の辞書と地球の歩き方を持ってサンフランシスコに行き、1か月くらいいろんなところを回って、最後はシアトルから帰国しました。英語できなきゃ何にもできないわけで、この1か月は修行としてはよかったと思います」

同級生の存在が“見えないプレッシャー”に

 これをきっかけに、武井さんは2〜3か月放浪して帰国。半年ほどパチプロしてお金を稼ぎ、また放浪という生活が始まった。 「けっこういろんなとこ行きましたね。沢木耕太郎さんの『深夜特急』読みながらアジアを列車で回ったり、ニューヨークからニューオリンズまでバスと鉄道で行ったり……。それで帰国すると専業のパチプロ。その頃は羽根モノが随分減ってきてて、メインはデジパチの現金機。私、どうしても分母のでかいパチンコが怖くて打てなくて、CR機はほとんど打たなかったんです。これもスタイルといえばスタイルなんでしょうが……」  だが、その生活は2年半ほどで終わりを告げる。 「羽根モノや一般電役のリリースがどんどん減って、打てる台というか、打ちたい台がなくなってきたんです、これはそろそろ潮時かなと。それと、同級生たちの存在が“見えないプレッシャー”になってきたんですよね。田舎は結婚が早いので、26歳くらいの当時、私の同級生たちはほとんど結婚してて、なかには家建ててるヤツも普通にいました。3つ年下の妹なんか子供が2人もいて、義弟から『義兄さんはいいなぁ〜自由で』って、寅さんに出てくるヒロシみたいなこと言われたりもしました(苦笑)」
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ヤンキー先輩と再会することに…
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グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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