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僕青・工藤唯愛が叶えた夢と実力の間で抱く葛藤「自分に足りないところに向き合いたい」

芸能界への背中を押してくれた推しの存在

 北海道出身の工藤は13歳で僕愛に加入。グループでは八重樫美伊咲、木下藍とともに“年少トリオ”として知られる。そんな彼女の地元は冬になると、通学するのもひと苦労だったそうだ。 僕が見たかった青空 雲組 工藤唯愛「学校に向かう通りが激狭な道なんです。そこに雪が降って除雪すると両脇に高い雪の壁ができるから、さらに狭くなって一列で登校してました。遅刻しないように親が車で送ってくれるときもあるんですけど、同じような送りの車が学校の近くでズラ~ッと渋滞になって、結局遅刻ギリギリになるっていうのが北海道の学生あるあるです(笑)」  アイドルになる前もクラスメイトから注目されるマドンナ。かと思いきや、本人は「ほとんど女の子としか話していなかったので、全然そういうタイプじゃなかったです」と首を横に振った。芸能界に最初に興味を持ったのは、読者モデル。家族のサポートを受けながら雑誌のオーディションやコンテストなどに挑戦したが、結果は振るわなかった。そのなかで見つけたのが、僕青のオーディション。背中を押したのは推しの存在だ。 僕が見たかった青空 雲組 工藤唯愛「小学生の頃から乃木坂46の賀喜遥香さんが大好きなんです。ライブには行ったことはなかったんですけど、お小遣いで買える範囲のライブグッズだけは毎回買っていて。生写真を入れたトレカケースをデコったり、粘土でミニチュアのオリジナルグッズを製作してみたり、推し活を楽しんでいました」

念願の雑誌モデルと生まれた苦しさ

 北海道から上京してからは初めのひとり暮らしに加えて、レッスンと学業の両立が始まる。娘が寂しくならないように、一日に何度も母親がビデオ通話をしてサポートした。そんな親の愛情に加えて、理想のアイドル像に出会えたことも彼女の希望となった。 僕が見たかった青空 雲組 工藤唯愛「デビューした直後の歌番組の楽屋で乃木坂46さんにご挨拶したときに嘉喜さんがいて、嬉しくて大号泣していました。推しは変わらないですが、今は『ターンの綺麗さ』とか『指先まで魅せるダンス』など、同じアイドルとして吸収したいことにも目が向くようになりました。お会いしたのはその一度だけなので、また共演できるように頑張りたいです」  ‘24年4月にはティーン向けファッション誌「nicola(ニコラ)」の専属モデルに合格。念願だった雑誌モデルの夢を叶えたはずだったのに、それが彼女を苦しめる悩みになった。工藤は選抜制が始まったセカンドシングルから5枚目シングルまで青空組にいたが、「ニコラのモデルだから青空組(選抜)に優遇されている」という批判だ。 「モデルの仕事が始まってから、そういう言葉が自然と目に入ってきてしまうことが多くて、勝手にネガティブに捉えて落ち込んでしまうこともありました。6枚目シングルで雲組に移動してからたくさん考えて、どうしたら『工藤唯愛は青空組に必要だ』と納得してもらえる自分になれるのか。本当に、本当に、模索しながら自分なりの答えを今も探しています」 僕が見たかった青空 雲組 工藤唯愛
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悔しさや苦しさから強い決意へ「自分に足りないところを雲組で向き合いたい」
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