更新日:2026年04月14日 16:55
エンタメ

「表情は一切わからない」コージー冨田(59)、糖尿病で“視力の大半”を失い人工透析を続ける日々。26歳で発症も放置した後悔

タモリものまねで“ドカン”と売れた2000年前後

――コージーさんが世に出たきっかけは、いつ頃だったのでしょうか。 コージー:’00年にテレビ朝日で放送されたものまね番組ですね。渡辺徹さんが司会の番組で、そこでタモリさんのものまねをやったんですよ。 その番組で「笑っていいとも!」にいいとも青年隊として出ていた野々村真さんとマンション久保田さんが出演されていて、「いいとも!」の流れをやったら、お二人から「タモリさんに似てますねぇ」と褒めていただきました。 ――一番近くで見ていた人にお墨付きを貰えたのは嬉しかったんじゃないですか? コージー:嬉しかったですね。出番が終わった後は審査員席の後ろに座っていたんですが、渡辺徹さんから島田紳助さんや板東英二さんなどのものまねを振っていただいたんです。 そのフリを全部野々村真さんに絡めて、紳助さんのときは「真、お前のコメントしょうもないねん」って返したり、坂東さんなら「真君がアホやから」みたいに返したのがドッカンドッカンウケたんです。結果的にその番組で優勝して、そこから一気に仕事が増えましたね。 ――タモリさんや島田紳助さんなど、本人が憑依したようなコージーさんのものまねがハマったんですね。 コージー:僕のものまねは完全コピーじゃなくて、自分の中で作るものまねというか「この人はこういう性格だろうな」って決めつけて、ちょっと誇張していくスタイルなんです。だからものまねしている御本人として絡めるのがよかったのかもしれませんね。 ――一気に仕事が増えてからは、どれくらいの期間忙しかったんでしょうか? コージー:5~6年はテレビもラジオも出て、営業もあって働き詰めの日々でした。ほとんど休みもなかったですが、好きな仕事なんでしんどいと思ったことは一度もないですね。 ――ブレイク当時、収入もかなりあったのでは。 コージー:最高月収は600万円とか650万円くらいだと思います。でも自分ではあまり稼ぐことに興味はなくて。食うのに困らなくなって以降は、「これで芸能でやっていける」という気持ちでただただ楽しいことを続けていたという感覚です。
次のページ
視力が低下してしまった理由
1
2
3
4
5
浅く広くがモットーのフリーライター。紙・web問わず、ジャンルも問わず、記事のためならインタビュー・潜入・執筆・写真撮影・撮影モデル役など、できることは何でもやるタイプ。X(旧Twitter):@matsushima36

記事一覧へ
SPA!編集部が「人生後半を賢く楽しく生きる」をテーマに厳選した記事をメルマガ会員限定で毎週金曜日にメールでお届けします。仕事・お金・性・人間関係…人生を豊かにする秘訣が見つかります。無料・10秒で完了です。
無料でメルマガ登録する⇒⇒
※登録後、メール認証が必要です。受信した認証メールをクリックして、登録を完了させてください。
※認証メールが届かない場合、迷惑メールに入っているか、メールアドレスが間違っている可能性があります。再度ご登録ください。
【関連キーワードから記事を探す】