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“最下位候補”を覆すヤクルトの快進撃。ブンブン丸・池山監督が薫陶を受けた「2人の指導者」の存在

「タレントはいらん」の一言に困惑

そうして89年秋に関根監督が退陣すると、新たに監督に就任したのが野村だった。 池山は野村が偉大な野球人であることは知っていたものの、性格まではよくわからなかった。「いったいどんな野球をやるんだろう?」と思っていたら、野村が監督就任会見を行った翌日のスポーツ紙の見出しを見て、わが目を疑った。 「タレントはいらん」 その横に池山の顔写真が載っている。記事にはこう書かれていた。 「野球選手は野球が本分だ。それを忘れ、浮かれているような選手は、これからのヤクルトにはいらない」 「えっ、オレのこと?」と驚いたのと同時に、「会って話もしていないのに、なんちゅうこと言う監督や」と本気で困惑していたという。 今の若い人は知らないと思うが、当時の池山はファッション雑誌にも登場し、「追っかけギャル」に追跡されては、人気タレント並みに騒がれていた。だからこそ野村は、「チャラチャラしたヤツだ」と危惧していたのではないかと、池山は考えていた。

ミーティングは野球と関係ない話が続いた

そして翌年2月、ユマキャンプがスタートすると、池山を含めたヤクルトの全選手が驚くことが毎日実施された。夕食後の午後7時から2時間かけて行われたミーティングである。 「監督が話をしながらホワイトボードに板書をするので、みんな書き写すように」と球団関係者から聞いていたので、池山はボールペンと何枚かの紙を持ってミーティングに臨む。 すると野村から発せられた第一声は、 「一番大切なことはジジュンである」 そう言うと、「耳順」という字を大きく書いた。 池山にとって初めて聞く言葉だった。どういう意味なんだろう? と思っていると、野村は続けて説明した。 「論語のなかに『六十にして耳順う』という言葉がある。これは孔子が60歳のとき、すべての物事の道理を悟り、何を聞いても理解できたという意味だ。だから君たちも私の話をよく聞くように」 続けて野村は、 「仕事は計画、実行、確認の三要素から成り立つ」 「予備知識は重いほどいい。先入観は軽いほどいい」 と、野球とはまったく関係ない話ばかり。社会人になりたての新入社員の研修かと思えた。 池山はこのとき、「このミーティングがキャンプ期間中に毎日続くのかと思うと、数枚の紙では書ききれない」ことに気がついた。そこで初日のミーティングが終わると、池山はA4判のノートを購入して、翌日からはそれに書き写すようにした。
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ノートに書いた「ノムラの考え」は500ページにも及ぶ
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スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』『オイシックス新潟アルビレックスBCの挑戦』(いずれも双葉社)

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