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“最下位候補”を覆すヤクルトの快進撃。ブンブン丸・池山監督が薫陶を受けた「2人の指導者」の存在

ノートに書いた「ノムラの考え」は500ページにも及ぶ

池山は野村のミーティングが楽しみで仕方がなかったという。 「僕はこう見えて、学生時代は授業中にノートをきれいにとっていたんです。大事だと思われる箇所にはマーカーで線を引き、図表を作るのも得意でした。監督の話も学生時代と同様、自分の心に響いた言葉に線を引いたり、枠で囲ったりしていましたよ」 翌年以降もルーキーが入ってくるたびに同じ話ではなく、前年よりバージョンアップして内容が深まった講義が多くなっていく。 池山は筆者とのインタビュー前に、当時のノートを引っ張り出してみたところ、書いた文字の量はA4判のノートで500ページ近くに及んでいることに気づいたという。 「それだけで一冊の本になりそうですし、『ノムラの考え』が凝縮されていたんだなと、あらためて思いました」 一方で池山の代名詞であるフルスイングについては、野村監督から疑問視されていた。 「実は野村監督から直接、『ブンブン丸を封印しろ』と言われたことは一度もなかったんです。あれは監督なりのマスコミに対するリップサービスだったんじゃないかな」 と回想するのだが、 「お前は三振が多すぎる。100個以上三振をするうち、半分をバットに当てて前に飛ばせ。そうすればそのうち何割かはヒットになって打率が上がるし、チームに貢献できる。これからはそういうバッティングを心掛けなさい」 というアドバイスをもらっていた。

心底こたえた「マネしたらあかんぞ」

三振が少ないに越したことはない。理屈から言えば野村の言う通りである。バットに当てない限り、ホームランはおろか、ヒットだって打てない。 「けれども三振を減らすために思い切りバットを振らなくなれば、ブンブン丸でなくなってしまう。プロの世界で通用していた、僕の最大の特徴であるフルスイングをなくしてしまうのには、大きな葛藤があったのも事実だったんです」 と池山は当時の心境を吐露する。野球は失敗のスポーツだから仕方がない……という理屈は、野村には通用しなかった。ある試合中に池山が三振してベンチに戻ると、野村はみんなに聞こえるような大きな声で、 「ああいうバッティングをマネしたらあかんぞ」 とボヤいた。これには心底こたえたと池山は話す。結局、1990年は三振数が100へと減ったものの、91年以降124、148と再び増えていくと、野村のボヤキはますますヒートアップして、ことあるごとに「なんとかならんのか」と言われたそうだ。
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「たった一度だけ」褒められた出来事
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スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』『オイシックス新潟アルビレックスBCの挑戦』(いずれも双葉社)

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