9歳“天才子役”の映画監督デビューに漂う違和感。若者の才能を「過剰に持ち上げる」大人の罪
「天才」という形容詞について考える
📓#未解決の女 撮影日誌
— 「未解決の女 警視庁文書捜査官」木曜よる9時【テレビ朝日公式】 (@mikaiketsu2018) May 19, 2026
差入れのお団子を両手に
ルンルンな #永尾柚乃 ちゃん🍡
でも撮影が始まると一瞬で
お芝居のスイッチが入る
柚乃ちゃんでした😳✨
✅第5話🆓配信終了まであと2日⚠️https://t.co/Vp30Uaynp5 pic.twitter.com/lyXVfQTIVj
そこで、改めて「天才」という形容詞について考えたいと思います。少しでも物を知っている大人たちからすれば、環境破壊に監視社会という組み合わせは、手垢にまみれきったモチーフであるはずです。もしも40代や50代のキャリア十分の監督が同様のモチーフを使えば、間違いなく“安易すぎる”と酷評されるでしょう。 にもかかわらず、同じ事を9歳の女の子が発しただけで「天才」の仕事にすり替わってしまう。あたかも、時代を揺るがす巨大な才能の誕生であるかのように喧伝される。しかし、実際は今も言ったようにそうではない。数ある既視感だらけの作品のひとつにすぎません。 つまり、これは厳しい言い方をすれば、永尾柚乃という看板を利用したロンダリングに見えてしまうのですね。ここに、史上最年少監督、脚本、編集、主演という売り文句の欺瞞が集約されているのです。そもそも、編集のような地味な職人技を、果たして9歳でできるものなのかという疑問も残ります。
消費し尽くされた「若さの青田買い」の末路
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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