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「歌唱や声援の強要はおやめください」なぜ西野カナの“ファン主導の演出”は問題視されたのか?周囲をウンザリさせる“承認欲求と同調圧力”の正体

主役は自分? 承認欲求が招く独りよがりな悲しさ



 もっとも、「自分たちがこのライブを盛り上げた」という達成感や、それによってアーティストが喜んでいる姿を見たいという必死な承認欲求もあるのでしょう。しかし、そうしたファン心理は得てして良い結果につながりません。なぜなら、そこで生まれているのは感動ではなく、「面倒だから合わせておこう」という大人の社交性だからです。それは心からの賛同ではなく、その場の空気を壊さないための配慮に過ぎません。  音楽の力を信じているのであれば、人それぞれが自由に楽しんだ結果として、一体感は自然発生的に生まれるはずです。しかし、「盛り上がるためのイベント」をあらかじめ用意し、それを全員で再現しなければライブが成立しないという発想になった瞬間、主役は音楽ではなくなります。  それは、コンサートという空間を盛り上げるための台本であり、演出です。観客は音楽を味わうのではなく、「盛り上がっている自分」を演じ、その姿をアーティストに見てもらうことが目的になってしまいます。  もちろん、ライブで声を合わせたり、一体感を楽しんだりすること自体を否定するつもりはありません。問題なのは、それが自発的なものではなく、周囲への同調圧力として機能してしまうことです。  アーティストを誰よりも支えていると思っている人たちが、実は音楽そのものへの信頼を損ない、他の観客が自由に楽しむ権利まで奪ってしまう。そこに、アンコールサプライズを他人へ強要する行為の、何とも皮肉で独りよがりな悲しさがあるのではないでしょうか。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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