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ジャイアント白田(47歳)が語る“第二の人生”。激戦区の大阪なんばで「15年以上」串カツ店を経営し続けるワケ

大食い番組自粛期は会社員として生活

――その後、さまざまな番組で圧倒的な強さを見せていましたが、2002年頃には事故をきっかけに、大食い番組が一時期放送されなくなりました。その後はどうされていたんですか。 白田:社会を知るために、3年半ほどサラリーマンをしていました。ただ、持病の治療のため休業していたときに、たまたまテレビのレギュラーが決まったんです。毎週まとまった収入が得られるので、「やります」と引き受けました。 ――会社を休んでいる間にテレビへ出ることを、勤務先は認めてくれたんですか。 白田:ダメでした(笑)。会社と「休業期間中に何をしているんだ」という話になり、休業を続けるか退職するかの二択を迫られました。テレビの収入が給料を超えていたので、退職を選びました。 その後は3年ほど、タレント一本で活動していました。ただ、年齢的にも、そろそろ本格的に開業へ動かなければと思ったんです。大食いのトレーニングは体や脳への負担が大きく、続けながら開業準備を進めるのは難しい。そこで競技をやめ、トレーニングをせずにできる仕事だけを受けながら、開業に向けて動き始めました。

強すぎたゆえに失った熱意と葛藤

――現在、大食いという競技とは、どのような距離感で関わっているのでしょうか。 白田:本音を言うと、今はもう、大食いに本気で向き合いたいというほどの熱意はなくて。もちろん、今も大食いを頑張っている人や、僕らをレジェンドとして慕ってくれる人がいることも知っています。そういう人たちの存在はありがたいと思っています。 ――競技への熱意が薄れていったのは、なぜでしょうか。 白田:結果を予測できるようになると、飽きてしまうところがあるんです。当時の僕にとって、大会に出る以上は「最低でも優勝」という感覚でした。どの程度のトレーニングを、どれくらい行えば勝てるのかも事前に予測できてしまう。そうなると、勝負というより、ただ決められた作業をこなしているような感覚になってくるんですよね。それで、少しずつ熱が冷めていったところはあります。 ――白田さんに匹敵する、本当に勝てるか分からないライバルがいれば、違っていたのかもしれませんね。 白田:それはあったと思います。当時、(小林)尊は海外に行っていましたし、日本では、全力を尽くさなければ勝てないと思えるライバルがいなくなってしまった。そこは大きかったですね。あの頃は大食いに全身全霊で向き合っていて、自分のなかではプロスポーツのような感覚でした。
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盟友・小林尊と繰り広げた激闘の記憶
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大阪府出身のフリーライター。関西圏のインディペンデントカルチャーを中心に、インディーズバンドやライブハウス、レコードショップ、ミニシアターなどを取材。現場の雰囲気や表現者の背景、地域に根づく文化のつながりを文章で伝えている。これまでにプレジデントオンライン、All About、Skream!、Lmaga.jp、Meets Regionalなどへ寄稿。 X:@toyoki123

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