エンタメ

「大トリでポンポコリン」K-POPフェスに出演したAdoが炎上…素顔よりも伝わらない“音楽の顔”への違和感

見えないのは素顔ではなく「音楽の顔」

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Adoさんの『狂言 (通常盤)』(ユニバーサル ミュージック)

 もちろん、メタリカから「踊るポンポコリン」まで歌いこなせるという見方もできるでしょう。けれども、それはよほどのファンでなければ好意的に解釈できるものではありません。大多数である、Adoのファンでない人たちは、そもそも彼女がどのようなジャンルを得意とし、どのような音楽的な趣味嗜好を持ったボーカリストであるかをほとんど知りません。ただ「圧倒的な歌唱力」という形容詞と、顔を見せないミステリアスな演出だけが独り歩きしている状況になってしまっているのです。  こうしてアーティスト、歌手、ミュージシャンとしての明確な軸が定まらないまま、多角的にPR戦略を打つような形でさまざまな場に出向していくから、顔を見せないことや檻に入って歌うという演出に対する批判が強まってしまうわけです。  歌というのは、音楽であると同時に、その人となりが如実にあらわれる表現形態です。そう考えると、Adoの創作活動やPR戦略は、むしろそのキャラクターを埋没させるように作用しているように聞こえてなりません。  つまり、本当に世間から見えないのはAdoの肉体としての「顔」ではないのです。彼女が一体何を求めて歌おうとしているのか。それが具体的なサウンドとして伝わってこないから、音楽の「顔」が見えてこない。  K-POPイベントのクロージングで「踊るポンポコリン」を歌うチグハグは、そうしたテーマの喪失から来ているのだと思います。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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