番外編その3:「負け逃げ」の研究(11)

 本日の「労働」は終了、と思っていたのに、そして通常カジノでイロモノには手を出さないはずなのに、

「ちょっと失礼」

 わたしはIさんから1万HKD(15万円)チップ3枚を借用すると、プレイヤー・バンカーの両サイドのトイチ(=ペア)、そしてタイの三点にそれぞれ一枚ずつ載せてもらった。

 勝っている、という気の緩みがあったのかもしれない。

 3万HKDを日本円にすれば、45万円である。

 それを11-1のトイチ2本、8-1のタイにベットするとは、狂気の沙汰。

 オッズが高いゲームに手を出してはならない。

 これはカジノ賭博における基本だ。

 なぜなら、オッズが高い種類へのベットとは、ほとんど例外なく高い控除率をもつものへのベットとなってしまうのだから。

 でも、何回も書いてきたけれど、

 ――バカラのルールを考え出した奴は天才だが、チップを考え出した奴は悪魔である。

 なのである。

 現金がいったんカジノのチップになってしまうと、金銭感覚を失う。

 当たり前の話だが、1万HKDのキャッシュ・チップ1枚をケージ(=キャッシャー)にもって行けば、10枚の1000HKD紙幣になる。

 ところが、どっこい。

 10枚の1000HKD紙幣ではとてもできないことが、クレイや強化プラスティック製のチップでは簡単にできてしまう。

 Iさんから1万HKDのチップ3枚を拝借したのは、博奕(ばくち)のリズムを狂わせたくなかったため。

 こんな局面で自分のデポジットを引き出す手続きをしたら、ゲームの進行は中断され、勝負の流れがまず変わってしまうのだろう。

 こういったところでのわたしの主張は、まったく「科学的」ではない。

 でも、経験的にはそうなってしまうことが多いのである。

 博奕は、断じて科学じゃない。

 誤解を生みそうだから付け加えておくと、だからといって、非科学では、もっとない。

「ゴー・アヘッド」

 Iさんがディーラーに命じた。

 若い男のディーラーが、シュー・ボックスからカードを抜き出し、2枚ずつ重ねて所定の場所に置いてから、プレイヤー側のカードをIさんの前に流した。

「ハウス、オープン」

 通常バカラでは、プレイヤー側のカードが開かれてから、バンカー側のそれを開く。しかしこのクー(=手)ではバンカー側のベットはないのだから、ハウスがバンカー側のカードを先に開いてみなさい、という意味である。

 命ぜられたとおり、ディーラーがバンカー側のカード2枚をひっくり返した。

「わっ!」

 Iさん、岸山さん、そしてわたしの口から、驚きの喚声というか喜びの歓声というか、両方が合わさった叫びが同時に発せられた。

 ディーラーによってオープンされたバンカー側のカードは、リャンコ・リャンピン(=リャンピンのカードが2枚の意味)。

 しかも両者とも中央が「抜け」、4である。

 バンカー側でトイチ(=ペア)の成立だった。

 これでオリジナル・ベットは生きたまま、Iさんには22万HKD、わたしには11万HKDの配当が保証された。

 はっはっはっ。博奕なんて、簡単なのよ(笑)。

 バンカー側が4プラス4でナチュラル・エイトであるから、しかし、Iさんの本線であるプレイヤー側の10万HKDベットは、苦しくなってしまった。

 苦しいのだろうが、Iさんは既に22万HKDの配当を保証されている。

 どう転んでも、このクーに関する限り負けはなかった。

 わたしは、借りたチップで、すくなくとも12万HKDマイナス3万HKDの9万HKDの勝利は約束されたのである。

 あ~っ、3万HKDなんてわたしにとってイロモノには大きすぎるベットを、調子に乗って、行ってよかった(笑)。

 Iさんが、プレイヤー側2枚のカードに取り掛かる。

 豪快な博奕を打つ人だが、それでも10万HKD(150万円)はでかい。

 150万円が、1000万円にも1億円にも育つのがバカラである。

 バンカー側ナチュラル・エイトの痛打から、プレイヤー側10万HKDのベットを救わなければならない。

 トイチ的中の歓喜の中空から、地上に引き戻されたIさんの額が、汗で光る。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(12)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。