ばくち打ち
番外編その3:「負け逃げ」の研究(16)
教祖さまは、膝をついて絨毯上に散らばったキャッシュ・チップをかき集めている。
それなりの責任を感じ、わたしも手伝おうとした。
「触るな!」
と教祖さまの一喝。
ちょろまかされる、とでも思っていたのだろうか。
そんなセコイ真似はいたしません。
あなたのおカネを奪うなら、絨毯の上ではなくて勝負卓の上で、公明正大におこないますよ、はい。
わたしは絨毯上で四つん這いになっている教祖さまに背を向けて、ケージを目指した。
こういったアクシデントが起きると、勝負の流れが変わることが多い、と思う。
もちろん、「科学的」な主張ではない。
――勝負にアヤがつく。
と博奕(ばくち)場では言う。
勝負にアヤがついたはずなのに、そして一直線ではなかったのだが、わたしがあらたに用意した30万HKD(450万円)のノンネゴシアブル・チップが、どういうわけか、ゆっくりとしかし確実に減っていった。
わたしは教祖さまの裏張りを仕掛けていただけだから、仕掛けられたご当人のキャッシュ・チップは増えていく。
「おかしいなあ」
「博奕は運気。あんた、影が薄いよ。わたしには見える。あんたから運気が去ってしまったことが」
と教祖さま。
てやんでえ、と思う。
そう思うのだが、しかし、わたしの手元に残っているチップの量が、隠せない現実を示していた。
1000HKDチップ100枚の教祖さまのスタックが、いつの間にか4本を超えている。
ここは、いったん退却だ。
いや、もとい。帝国大本営陸軍部発表にならえば「転進」である。
手持ちが10枚の1万HKDのノンネゴシアブル・チップとなったときに、わたしは教祖さまの坐る卓を立った。
「いや、ありがとう。あんたは救いの神だった」
と嫌味を言われながら。
我ながら、情けない。
あと200万円分の勝利、なんて色気を出して坐ったこの卓で、きっちりと50万HKD(750万円)やられてしまった。
裏張りで殺しにいって、返り討ちにあう。
まったくみっともない博奕を打ってしまったのだが、しかし今回の遠征成績を総合すれば、わたしはまだ16万HKD(240万円)ほど勝利していた。
カジノの建物を一歩でも外に出れば、240万円といったら大金だ。
ところが、これも「カジノの不思議」で、どうしても大金を勝利している、とは思えない。
「あの時から、750万円やられている」
と考えてしまうのである。
じつは「あの時」というピナクル(頂点)に滞在できるのは、ほんの一瞬。そこから眺めてみれば、すべての地点はマイナスとなってしまう。
これも「希望の病理」の一形態、「カジノの罠」と呼んでもよろしい。
わたしは意気消沈し、Iさんと岸山さんの坐る卓に、「転進」のご挨拶にうかがった。
「これであがりますので」
「どうでした?」
「Iさんに間違って勝たせてもらった30万HKD、欲を掻いてすべて溶かしちゃった。ごめんなさい」
追加で失った20万HKDの分は、この際、伏せておいた。
わたしは原則として、博奕場で「悪い」とは言わないのである。
「Easy come, Easy go.ですね」
Iさんは日本を離れてまだ日が浅いのだが、的確な英語表現を使う。
「夕食はどうなさいます? わたしたちはCOD(シティ・オブ・ドリームズ)の『かねさか』に席をとってありますので、よろしければご一緒しませんか」
と岸山さん。
高級鮨を喰う気分ではなかった。
「わたしは、そこいらへんの麺粥で済ませます」
岸山さんもIさんも、順調に勝利しているようだ。
10万HKD(150万円)のキャッシュ・チップが、卓上でスタックをつくっていた。
お二人は高級鮨、わたしは麺粥を喰い、教祖さまへの復讐を誓う。
~カジノ語りの第一人者が、正しいカジノとの付き合い方を説く!~
新刊 森巣博ギャンブル叢書 第2弾『賭けるゆえに我あり』が好評発売中