ばくち打ち
番外編その3:「負け逃げ」の研究(17)
翌日も早起き。5時には下のフロアに降りていた。
朝5時ごろというのは、一般にカジノの打ち手にとって微妙な時間帯であろうが、なぜかわたしには向いている。
――早朝のカジノには、おカネが落ちている。
はずだから、それを公明正大に卓の上から拾うのである。
この時間より早いと、前夜の悪運を引きずった負け組がまだ惰性で打っていたりして、場の空気が酸っぱくなっていることも多い。
前日、ジャンケットのおねーちゃん二人組がテレ・ベッティングを開始するまで、他の打ち手が誰もいない早朝のプレミアム・フロアで、わたしはバカラという鬼畜なゲームと孤独に向き合い、満足できる結果を残していた。
20万HKD(300万円)以上を稼ぎだしている。
勝利の方式は、それが途切れるまで、継続したい。
これもオカルトである。なんの「科学的根拠」もない。
しかし、ションベン博奕(ばくち)ではどうあれ、胃の粘膜に穴があきそうな深刻な博奕の打ち手で、「ジンクス」や「ゲン」をかつがない人間を、わたしは一人も知らない。
丁と出るか半と出るか、まったく不明。
根拠となるものも、皆無。
そんな不可知なものに、大枚なおカネを賭けるのだ。
人知を超えたナニモノかに、運命をゆだねる。
そして、祈るのだ。
その祈る対象とは、わたしの場合、神とかそういうものじゃなかった。
全知全能の神の不在は了承しつつ、それでも祈る。
祈れ、祈りつづけよ。
カジノというのは、夢を見る場所である。
また同時に、わたしにとっては、一心不乱に祈る場所でもあった。
ジンクスとかゲンなんて、どうでもいいようなものだが、それでも一応それらに敬意を払う。
すくなくともわたしには、負けたときの言い訳が、ひとつ減るはずだ。
まあ、負けたときの言い訳は無数にあるので、ひとつぐらい減っても、どうということはないのだが。
ジンクスに従うゆえ、もしジャンケットのおねーちゃんたちがまた早朝のプレミアム・フロアに現れたら、すぐに勝負卓を立つ。
ついでだが、英語で「ジンクス(JINX)」といったら、不幸なことが起こる予兆ないしは「言い伝え」を意味する。
ポジティヴな局面で使われることは、ない。
日本語での「ジンクス」とは、ポジティヴな場合とネガティヴな場合の両局面で使用され、混乱しているのだけれど。
ジャンケットのおねーちゃんたちが現れたら、即刻席を立ち、フロアにある小食堂でお粥の朝食をいただく。
それから部屋に戻って、新聞でも読もう。
そう決めていた。
通常わたしの滞在に、このハウスが割り振るのは、200㎡超のスイートだ。
ほとんどの滞在では、眠るだけに使う部屋だから、無駄に大きい。
スイートの中に、寝室・居間・スタディ(執務室)、そしてカラオケルームまでついている。
バスルームは、マッサージ室が付属した大きいのがひとつだけだが、シャワールームとサウナが別の場所に独立してそれぞれ2つずつある。
トイレは、4箇所。
バカじゃないの(笑)。
結果的に宿泊費用は、プログラムに含まれるコンプですべて「オン・ザ・ハウス(=無料)」になる(これもハウスが仕掛ける罠のひとつ)だろうとはいっても、まあ、こんな部屋に一人で滞在する方が、バカなのである。
とりわけ、負け博奕でデポジットが消滅し、広いスイートにぽつんと一人で残されて、帰りのフライトまでの時間を殺しているときは、つらい。
でも、わたしにも言い分がある。
~カジノ語りの第一人者が、正しいカジノとの付き合い方を説く!~
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