ばくち打ち
番外編その3:「負け逃げ」の研究(18)
わたしの資産・収入では、どう転んでもカジノ・ホテル以外のホテルで、こんなバカげたスイートに宿泊することはできない。
だから、できるときには、やっておく。
ジャニス・ジョプリンが歌ったように、“Get It While You Can”。
そういう生き方を選んできた。
また、そういう生き方を可能とするために、落としたもの、捨ててきたものも、多かった。
* * * * * * * * * * * *
打ち手はわたし一人の早朝のプレミアム・フロアに、話を戻す。
擦り切れたじじいのくせに、なぜか口元から爽やかなミントの香りを漂わせたわたしは、5000HKD(7万5000円)ミニマムのバカラ卓に坐った。
このテーブルのマックス(=マキシマム・ベット)は300万HKD(4500万円)。
「サイパイ(=洗牌の広東語。北京官話ではシーパイと発音する)」
ディーラーに命じた。
カードを取り換え、新しいシューを始めろ、という意味である。
一人で打つときには、セッションの始めから流れを見てみたい。
しばらく「フリー・ゲーム」をつづけて、一発目は、ミニマムである5000HKDで、バンカー側にベット。
ウエイトレスやローリング娘まで含めれば、20人近くの視線を一身に集め、孤独にカードを引く。
4からモーピンでは最良の3を起こして、
「チヤッ(=7)!」
上等だ。これで充分だろう。
「すいません、パッ(=8)です」
可愛らしい顔をした、マカオでは珍しいヨーロッパ系の女性ディーラーが、プレイヤー側のカードを起こしながら、申し訳なさそうに言った。
ほんじゃ、二発目は1万HKDのベット。
「ナチュラル・エイト。どうだ、まいったか」
「あれ、ナチュラル・ナインです」
どうも、よろしくない。
前日、教祖さまに「人間(ホシ)ケーセン」を仕掛け返り討ちにあったときの悪い流れを、まだ引きずっていた。
その後、勝ったり負けたりしたのだが、卓に坐ってから1時間もしないうちに、この遠征での浮き分の残り16万HKD(240万円)が、すっかりと溶けた。
1000万円近くあった勝ち分が、いつの間にかあっさりと消滅している。
1000万円というと、わたしにとってはデカイんだよなあ。
ひどい落ち方だった。
しかし、ジャンケットのおねーちゃんが現れるまでは、その前日も含め一本調子で登っていたのだから、一本調子で落ちる負け方も受け入れざるを得ない。
いや、カジノで採用されるゲームに組み込まれた控除を考えれば、もっと負けても仕方ない。
カジノには、よく居るのだ。
それまで調子よく勝利していたのに、ある地点から一気に転げ落ちた。
きっとハウスにいかさまを仕掛けられたんじゃなかろうか、なんてアホなことを言う奴らが。
ハウス・エッジが存在するのだから、カジノ博奕は負けるのが当たり前。
「調子よく勝利して」いるときにこそ、ハウスのいかさまを疑うのならまだわかる。そうじゃなくて、負けだすと、途端にいかさまを主張する。
――勝てば幸運、負ければ実力。
これがカジノ賭博における原則なのだが、
――勝てば実力、負ければいかさま。
と、まるで逆の思考をする。
そういう思考様式をもつ人たちは、一獲千金を夢見てカジノなどに行かず、せっせと郵便貯金に励んだほうが身のためだ、とわたしなど考える。
郵便貯金も、そのうちに危なくなるかもしれないのだが。
~カジノ語りの第一人者が、正しいカジノとの付き合い方を説く!~
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