番外編その3:「負け逃げ」の研究(30)

 セイピン(=フォーサイド=9か10)とリャンピン(=トゥーサイド=4か5)という悪い組み合わせながら、わたしは与えられた条件の中では最良の5を絞り出さなければならない。

 5なら、まだ希望が残る。

 4では、いわゆる“So-So”。どちらに転ぶかわからない。

 3なら、まずアウトだろう。わたしの25万HKD(375万円)は敵のフトコロに納まる。

 リャンピンが見えた2枚目のカードを、そのまま横サイドから起こし続けた。

 テンガアァ、テンガア。つけ、このヤロッ!

 口には出さず、わたしは体内を気合いで充満する。

 んっ?

 いない。

 いるはずのものが、抜けていました。

 ならばせめてセイピンの方のカードに点をつけ、暫定持ち点を4にしておきたかった。

 んっ、んんっ?

 こちらもスカ。点が消えている。

 よくないなああ。

 でも失意を隠し、わたしは涼しい顔でバンカー側2枚のカードをディーラーに戻した。

 ここいらへんは慣れている。

「ははは、出せて3。そう言ったでしょうが」

 と教祖さまが喜ぶ。

 隣席に坐る歳若い女性の緊張しきった顔まで緩んだ。

 教祖さまの予言を信頼しているのだろう。

「じゃ、8をお願いします」

 わたしは、丁重に教祖さまにお願いした。

 バンカー側の暫定持ち点は3だから、「3条件」が成立する。

 つまり、プレイヤー側が3枚目で8を起こせば、バンカー側は3枚目のカードの権利を失う。

 失って、いいのである。

 プレイヤー4プラス8の2、バンカー3で、バンカー側の勝利が確定するのだから。

「8。8ですよ。どうぞよろしく」

 呼び込まれたお返しに、こちらも呼び込んだ。

 これは、マカオのバカラ卓だから、やってもよろしい。

 呼び込みは、韓国の公認カジノや日本の非合法賭場(とば)では全面的に禁止されている。

 客同士の喧嘩になるからである。

 渋谷の非合法賭場での「呼び込み」を巡るやくざ同士の殴り合いが、組織間の抗争にまで発展した例もあるらしい。

 博奕(ばくち)という「合意の略奪闘争」の本質を理解していないから、そういうアホくさいことが起きるのである。

 まったく情けない連中だ。

 それはともかく、わたしは8のカードを呼び込みながら、はたと気づいた。

 2枚の配札で暫定持ち点が、プレイヤー4、バンカー3。

 これは前日、岸山さんが64万HKD(960万円)の勝負を仕掛けた時の展開と同じではなかったか。

 プレイヤー側のベットだった岸山さんは、そこから3枚目で「3条件」で唯一のスカ札8を起こし、メルセデス・Eクラス・カプリオレが飛んでしまった。

「昨日の朝も、大勝負の時、同じ展開があったんだよな」

 と、わたしは教祖さまにも聞こえるようにつぶやいた。

 8を呼び込むのでも、もうすこしプレッシャーをかけておく。

「どうなったの?」

 と教祖さま。

「プレイヤーはそこからサンピンを引いて、自滅したんですよ」

 とわたし。

 教祖さまの頬肉が、ぷるぷるとちいさく痙攣した。

 恐れろ。もっと、恐れろ。

 恐怖に押しつぶされやがれ。

 ディーラーが流してきたプレイヤー側3枚目のカードの上に両掌を載せ、教祖さまは、なにやら呪文らしきものを唱えた。

⇒つづきはこちら
番外編その3:「負け逃げ」の研究(31)

~カジノ語りの第一人者が、正しいカジノとの付き合い方を説く!~
新刊 森巣博ギャンブル叢書 第2弾『賭けるゆえに我あり』が好評発売中

賭けるゆえに我あり

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。