ばくち打ち
番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(11)
だるま返し(=だるま転がし)戦法の原則にしたがい、「魔の9レース」(台に載った予想屋のおっさんがそう叫んでいた)には13万円前後を一点で突っ込んだ。
ここいらへんから、わたしの記憶は曖昧(あいまい)となってしまう。
ノルアドレナリンもドーパミンもぴゅっぴゅっと出まくって、脳内報酬回路は快楽物質で洪水状態だった。
もう、なにがなんだかわからない。
わたしの存在自体が、怪しかった。
ソーセージの肉状となった己(おのれ)が、ただただ快感に痺れている。
神が憑依(ひょうい)したのか、はたまた降臨してわたしを導くのか。
9R的中。
正直に書けば、第9レースの配当金をすべて第10レースに突っ込んだわけではなかった。
ビビッて、一部を中抜きしたのである。
したがって、正しい意味では、「だるま返し」ではなかった。情けない。
10R大的中。
最終レース後の払い戻しの穴場で、周りのおっさんたちが騒いでいたのは、おぼろに覚えている。
穴場から差し出された札束を、よれよれの上着とズボンのポケットにねじ込むと、わたしは競輪場出口に向かい走った。
当時の払い戻しは、どんなに高額であろうが、すべて現金で穴場の窓口からだった。
汗まみれになりながら、膨らんだポケットを掌で押さえ、わたしは競輪場の出口を目指して走った。
強奪を恐れていたのだろう、と思う。
競輪場や競艇場では、年に何回か「暴動」が起こる時代だった。
どうやって帰ったかも忘れた。
息を切らせて戻った花園町のアパートでは、はち切れんばかりに膨らんだポケットをすべてぶちまけた。六畳の畳の上に万札が300枚弱散らばった。
1万円の元手からである。
ビビッて中抜きなどしていなければ、えらいことになった。
ギャンブルでは、奇蹟が起こる。
そしてそれが、我が身に起こってしまった。
しかも公営競走賭博という不毛・不得手な領域で。
だからギャンブルは、怖い、恐ろしい。それゆえたとえようもなく楽しくて、厄介なのである。
熱帯夜だったのにもかかわらず、その夜わたしは震えながらまどろんだ、と記憶する。大勝したのだが、というか大勝したゆえに、熟睡なんてできゃしない。
朝日が昇ると、枕の下の札束をもう一度数えなおした。間違いない。1万円札が300枚近くあった。
翌日は決勝戦。
でもわたしは水道橋(後楽園競輪場があった場所)に行かなかった。
その代わりに、靖国通りの厚生年金会館に面した小さな郵便局に向かったのである(笑)。
いまと異なり、二十歳前後のガキが、郵便局の窓口に300枚弱の1万円紙幣をぽんと出しても、なにも訊かれずそのまま通帳に記載してくれた。
現在だと、わずか100万円程度の現金の送入金でも、金融機関の職員はいろいろと質問してくる。
わたしは、
――ギャンブル用のおカネ。なんか文句あるの?
と答えることにしているのだが。
話を戻す。
これでユービン貯金の通帳に書き込まれた金額が、アトサキ賭場での勝ち金を含めて、400万円を超えた。
当時、大企業に就職した新卒の年収の、軽く10倍以上である。
よし、やったる。
なにを、やったるのか?
自分でもよくわからなかった。(つづく)