ばくち打ち
番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(1)
日本の国会で、昨年(2016年)末に『特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案』通称 『IR(=実質的にはカジノ)推進法案』が成立した。
法案は、1年以内に政府が『IR実施法案』を策定し、国会に上程するよう求めている。
委員会でほんのわずかな審議をおこない、強行採決までやって通すべき法案であったのか、カジノ推進派のわたしですら疑問に思わざるをえない。
まあ、大きな利権が絡むから、そういうことになったのだろう。
きわめて短時間ながらその審議で主に討論されたのは、賭博とは何か、カジノとは何か、という本質には触れず、いわゆる「ギャンブル依存症」にかかわるものである。
――日本には、推計536万人(成人人口の4.8%。2014年厚労省の発表)ものギャンブル依存症の人たちが存在する。カジノをつくって、ギャンブル依存症の人たちをさらに増やすのは、いかがなものか。
といった類の、勘違いしているとしか思えない反対論が中心だった。
そこで政府は「ギャンブル依存症の基本法制」をまとめ、本年(2017年)中に、通常国会に提出する予定だという。
おまえら、バカか?
このニュースを聞いてわたしの即座の反応は、これだった。
カジノが合法化されているのは、世界に約140か国存在する。
つまり、国連加盟国の圧倒的多数で、カジノは公認されている。
先進国(OECD加盟国)で、合法的カジノがないのは、日本とアイルランドのみ。なぜアイルランドではカジノが非合法化されているかについては、以前この連載で説明した(『カジノ解体新書』扶桑社新書参照)。
そして、世界平均では、成人人口の1%前後がギャンブル依存症である、と推定されている(WHO統計)。
ところが前述したように、日本には成人人口の4.8%ものギャンブル依存症の人たちが存在する、といわれる。
以上の統計から導き出しうる結論は、当然にも以下のごとくなる。
もし本気で日本のギャンブル依存症の人たちの数を劇的に減らそうと試みるのなら、日本でカジノを合法化し、他の「グレーゾーン」に位置する賭博を全面的に禁止すればよろしい。
どうだ、反論できまい(笑)。
――国民性として、日本人はギャンブル依存症に陥りやすい。
などというトボケた話はなしにしてほしい。
こういった主張をする人たちは、どれだけ「日本の国民性」をコケにすれば、気が済むのだろうか。
だいたい「国民性」とは、アプリオリ(=経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念。ウキペディアでの定義)なものではない。
あれは、後天的に、主に教育(つまり洗脳)および同調圧力によって形成されたものなのである。
だいたい「国民」なんてものは、18世紀末まで世界中のどこにも存在していなかった。
「国民の成立」に関しては、西川長夫の優れた一連の著作をお読みいただきたい。もしそれが難解すぎるなら、姜尚中・東大名誉教授とわたしの共著『ナショナリズムの克服』(集英社新書)で、やさしく説明してある。ご高覧あれ。
すなわち、百歩譲って「国民性として、日本人はギャンブル依存症に陥りやすい」とする説が正しいと仮定するなら、その「国民性」を変える教育をおこなえばいいだけの話なのである。
「カジノ解禁、(競馬なんかは許してやるが)他の怪しげな賭博禁止」で、日本でもギャンブル依存症の人たちの数は、成人人口5%弱から世界平均の1%前後と激減するはずだ。
これが、「正論」。
ところが、この「正論」は、現在まで否定されてきたし、おそらくこれからも否定されていくのだろう。
否定されてきた理由は、はっきりとしている。
公営競技賭博における霞が関諸官庁の既得権益であり、また「グレーゾーン」に位置するパチンコ業界と警察の癒着のゆえだった。
この部分に関しては、前項書『カジノ解体新書』で詳述している。参考にしてほしい。
さて、『IR推進法』が成立し、1年以内に政府が国会に上程するとされる『IR実施法』について、わたしが考えるところをすこし述べておきたい。
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番外編その3:「負け逃げ」の研究(36)
カジノのVIPフロアで見掛ける日本からの打ち手は、Sさんが言うように「グレー・ゾーン」で生きている人たちが、結構多いのだろうと思う。
塀の上を歩いているような稼業なのだが、なぜか内側には落ちない。
だいたい日本では、警察・検察という組織が、何が合法で何が非合法なのか決めていくのである。裁判所ではなかった。
ほとんどの場合、裁判所は起訴を追認するだけの機関になり果てている。それは有罪判決99%という数字が明瞭に示す。
検察庁と裁判所が、職員の交換出向制度をもっている先進国(OECD加盟国)なんて、他にあるのだろうか。わたしは寡聞にして知らない。
したがって、それがたとえ「グレー・ゾーン」の稼業であろうとも、霞が関と癒着すれば、あるいは警察と利権・天下り絡みの「お目こぼし」の合意が成立すれば、まず塀の内側には落ちない。
お天道さまの下で堂々とやってもいいことになっていた。
「東日本大震災直後だったと思いますが、Uさんは資産のほとんどを香港とシンガポールに動かした、と自慢していましたよ」
とSさんがつづけた。
「大きかったの?」
「自己申告ですので、本当かどうかはわかりません。50億円は超していたそうです。当時の香港では、4人衆とか5人衆とかが、華々しく活動していましたから、そういうのもありか、と」
『香港4人衆』というのは、日本国内の資産を香港経由で海外に移動させる、元国税や金融関係者たちの専門集団。
一時はマカオにもよく現れていたのだが、ここ2年ほどはとんと見掛けなくなってしまった。
「それを全部、溶かしちゃったのかよ?」
「そうみたいですね。ヤバい筋に追い込みをかけられていたぐらいだから」
「『追い込み』って、ジャンケットで打ってたの? わたしが知ってるUさんは、プレミアム・フロアで打ってたんだけれど」
「ハウスでのクレジットが満杯になって、ジャンケットからも金を引っ張っていたそうです」
ジャンケットというのは、大王製紙元会長の特別背任事件でも登場した、「カジノ仲介業者」と日本では呼ばれるものだ。
この職種に関し、日本での認知度はきわめて低いし、また誤情報も多い。
これについては、次章でわたしが考えるところを説明する。
「あのUさんがね……」
プレミアム・フロアの勝負卓で、オレンジ・チップ(=1枚150万円)を数枚重ね、ばんばんと行く彼の姿が、わたしの脳裡を過(よぎ)った。
わたしの知るUさんは、ほぼフラット・ベットという悪癖をもちながらも、強い賭人だったのである。
そして、おそろしく勝率の高い打ち手だった。
フェリーは、HKIA(香港国際機場)に到着し、わたしたちはモノレールに乗り換えた。
車両に揺られながら、わたしは今回の遠征のテーマだった「負け逃げの研究」について考える。
「下げ銭」はすべて、持ち帰れた。
おまけに、ローリングにつくキャッシュ・バックがあるので、実質上の「勝ち博奕」である。
しかし、わたしの頭の内部を覆うこの鬱陶しい敗北感は、いったいなんなのだろうか?
モノレールは、HKIAのターミナルを目指し、暗いトンネルをゆっくりと進んでいた。
(番外編その3・「『負け逃げ』の研究」 了)
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番外編その3:「負け逃げ」の研究(35)
それからしばらくして、シドニーのカジノで見掛けた際、Uさんがベットするチップの種類が以前のものと違っていた。
1000ドル・チップ(通称・ゴリラ)ではなくて、5000ドル・チップ(通称・バナナ)で張っていく。
それを数枚重ねてベットした。
これが、ゲーム賭博の怖いところだ。
20万円とか30万円とかは、カジノのハコを一歩でも外に出てしまえば、大金のはずだ。
それが、わずかな期間で、10倍にも跳ね上がっていた。
慣れたのである。
慣れてしまえば、当たり前なら怖いことが、怖くなくなる。
以前にも書いたが、カジノの賭博では、
――慣れねばならず、慣れてはならず。
もっともこれは、カジノの賭博だけにかかわらず、日常生活一般に関しても言えることかもしれない。
しかし、Uさんのほぼフラット・ベットの悪癖は、まだ変わっていなかった。
勝率さえ高ければそれでもいいのだろうけれど、はたして収支はどうなっていたのだろう?
世紀が変わり2004年になると、マカオにラスヴェガス系資本のメガ・カジノがオープンした。
わたしはマカオでオープンしたばかりのカジノの「一般のプレミアム・フロア」でも、Uさんを見掛けている。
じつは、Uさんと話をするようになったのは、この時からだった。
そのオープンしたてのマカオのメガ・カジノの「プレミアム・フロア」は、「一般の」ものであっても、驚くほど敷居が高かった。
500万HKD(7500万円)が、最低のデポジット金額である。
勝負卓のワン・ボックスにオレンジ色のチップ(10万HKD=1枚150万円)が束となり、バンバンと賭けられる。
それでも打ち手たちは、このカジノの「プレミアム・フロア」の会員になろうと、列をなした。
お断りしておくと、これは、あくまで当時の話である。
レスヴェガス系のメガ・カジノ、および地元マカオや香港資本のメガ・カジノが林立して競合状態になると、「プレミアム・フロア」に入場できるデポジット金額が、どんどんと低くなっていく。
現在では、20万~30万HKD(300万円~450万円)あたりからのデポジットで、「プレミアム・フロア」に入ることができるようになっている。
わたしがマカオでUさんを見掛けた際、シドニーでの時からまたワン・ステップ上がって、オレンジ・チップの打ち手となっていた。
それをまとめてベットする。
同席する中国系の打ち手たちは、ほとんどがそういう乱暴なベットをしているのだが、やはり恐ろしいことだった。
* * * *
「Uさんは、なにをしていたの」
HKIA(香港国際機場)に向かうフェリーで、わたしはSさんに訊いた。
「わたしも詳しくは知らないのですが、バブル期に不動産で儲けて、バブルが破裂してから、会社整理関係をやっていたらしい、という噂を聞いたことがあります」
20年以上の付き合いでも、カジノの知り合いなんてそんなものだ。
本職が何なのか、まったく知らない人たちも多い。
わたしの個人的な体験では、オーストラリアのカジノのVIPフロアでたまに見掛けるおっさんが、日本に行った時テレビを見ていたら、スクリーンにでかでかと登場した。
それも国会の某委員会で質疑をおこなっていたのである(笑)。
「Uさんは裏社会の人なの?」
「さあ、どうなんでしょう。日本は全体がグレー・ゾーンみたいなところですから」
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番外編その3:「負け逃げ」の研究(34)
わたしがUさんに初めて会ったのは、オーストラリアのメルボルンにあるクラウン・カジノのVIPフロア・マホガニー・ルームでだった。 この世界では「鯨(ハイローラーでも超がつ打ち手のこと)」の中の「鯨」と呼ばれたケリー・パ […]
番外編その3:「負け逃げ」の研究(33)
わたしの決断は、早かった。 席前に積まれたものと、ベット・サークルに置かれたチップを浚(さら)うと、わたしはさっと席を立った。 負けたわけじゃない。しかし、敵のゼロを叩けなかった。 こんな博奕(ばくち)は、打ち続 […]
番外編その3:「負け逃げ」の研究(32)
教祖さまは、もう悲惨な状態である。 握る3枚目のカードの位置を替えると、赤黒く膨れ上がった顔で縦サイドから絞りだした。 すこしずつ。 ほんとうにスローに。 1ミリの数分の1ずつめくっていく。 こめかみに浮いた […]
番外編その3:「負け逃げ」の研究(31)
教祖さまが、細い目ん玉をひん剥いて、3枚目のカードを絞り始めた。 絞り方から推察するに、どうやら脚がついた(4から10のカードを意味する)ようだ。 間違いなく二段目は「抜け」ている。 中央も「抜け」ていれば、それ […]
番外編その3:「負け逃げ」の研究(30)
セイピン(=フォーサイド=9か10)とリャンピン(=トゥーサイド=4か5)という悪い組み合わせながら、わたしは与えられた条件の中では最良の5を絞り出さなければならない。 5なら、まだ希望が残る。 4では、いわゆる“ […]
番外編その3:「負け逃げ」の研究(29)
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番外編その3:「負け逃げ」の研究(28)
わたしは、25万HKD(375万円)分のチップを、バンカーを示す白枠内に、そっと押し出した。 10万HKDのオレンジ・チップが2枚に、1万HKDのブラウン・チップが5枚。 どかん、とは叩き付けない。 心臓が、こと […]