第324回

8月15日「盂蘭盆会」

・蝉のように人間も寿命が決まっていたらもっときちんと生きられるような気がする。逆に、命が永遠だったら何をする気にもなれないはずなのだ。

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8月16日「年金は税金だった」

・大げさだけど僕なりに死を意識していた期間に、長編小説を1本仕上げた。近々、良い形で発表できると思う。今となっては気恥ずかしいが、実は遺書のつもりで書いたものだ。生きること死ぬことに悩んでいる若い人に読んでもらいたいと強く思っている。

・もう一つ。年金のこと。その「死ぬ予定」だった頃、社会保険庁に問い合わせてみた。30代や40代までに癌を発病し、余命がわかってしまった人、つまり年金を受給できないことが100%確実になってしまった人は、積み立てをやめてしまってもいいものか。いいに決まってるよね? むしろ今まで払ったぶんはすみやかに返してもらえるよね。

・答えはノー。65歳以降の受給開始日まで生きられないことがはっきりしていても、年金は払い続けなければならないというのである。

・癌を発病した場合、現実的には治療に専念するために会社をやめるような人も多いと思うが、その場合、即座に個人で年金に加盟して払い続けることを求められるのだ。癌患者の方々は、いろいろ入り用な経済事情の中で、積み立てても絶対に戻っていないことがわかっている金を強制的に取られ続けているわけである。それは矛盾があるのではと聞くと、いやこう決まっているし特例制度もないから、との答。そして年金は「そもそも貯蓄ではなく助け合いの意味を持つ仕組みですから」と言われて唖然とした。そうか、年金って生活保護制度なんだ。税金の一部分を呼び方ごまかして徴集しているってことじゃないか。

8月25日「二番館で観たい」

・六本木ヒルズにて、USAバージョン 『グラインドハウス』観る。ロバート・ロドリゲス『プラネット・テラー in グラインドハウス』とクエンティン・タランティーノ『デス・プルーフ in グラインドハウス』の2本立て。

・60~70年代の映画文化へのオマージュとして制作されたものだ。グラインドハウスとはB級映画を2本立てや3本立てで架ける、日本では「二番館」とか「名画座」といわれていた劇場のこと。アメリカにはレイトショーシアターやドライブインシアターも多く、ミッドナイトムービーと呼ばれるジャンルが確かに成立していた。つまりジャンキーや暴走族がラリったりセックスしたりしながら観たバイクやゾンビやおっぱいの映画群だ。そに向けて低予算でひたすら痛快なるクソ映画を大量生産したハーシャル・ゴードン・ルイスのようなも鬼才もいた。そういう作品までもが今は「カルト映画」としてDVD化されてたりするわけだ。

・さて『グラインドハウス』は2作品にくわえて架空のエログロ映画の予告編なども入り、合わせると3時間強の長尺になるため、日本ではそれぞれ独立した1本として順次別々に上映されることになってしまった。本来の形式で(セットで)見たい人は限定特別上映の機会を逃さないよう(8月31日までTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて)。本当は新作でなくなった頃に場末の二番館で見たいものだけど、そういう場所がほとんどなくなってるからなあ。昔、というかビデオレンタル文化以前の、20年くらい前まではたいていの繁華街にいくつもあって、映画見るのに大きなモニターとかサウンド環境整えなくても、レンタルビデオ屋に行ったり衛星放送の契約したりしなくても、ただ街をふらふらして映画館をはしごしてればよかったのだ。そこで夜を明かせばいいのでタクシー代も使わなかった。良かったなあ。どっちが良いかというと、今の方が良いに決まってるんだけど。

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。