ロシア選手のパラリンピック参加禁止とスポーツにも感動を求める日本人の国民性

五輪旗

ドーピング問題に対するロシア人の反応

 リオのパラリンピックが9月8日から始まり、オリンピックに続き、日本人選手たちの活躍が期待される。しかし、今回のオリンピックは、8月の五輪開幕直前、国家ぐるみのドーピング疑惑を受けたロシア選手団の出場制限もあり、後味の悪さを残した。  そして、パラリンピックではロシアの全選手団が出場できない。そのため、ロシアでは9月8日から2日間、パラリンピックのロシア大会が開催された。  オリンピックの直前、ドーピング問題に対しての処分が発表された際に、インタヴューに応えるロシア国民の声には正直、驚かされた。その多くがIOCの決定に不満を表し、なかには陰謀だと答えていた市民もいたからだ。ほとんどの日本人はロシア国民の反応には違和感を抱くに違いない。  共産党独裁で言論の自由のない中国ならまだしも、ロシアではまがりなりにも報道の自由があるにもかかわらず、ロシア国民はIOCではなく、自国の政府に信頼を寄せていた。しかし、プーチンを始めとするKGB出身者が国家の中枢にいる事実を知ると、選手のドーピングが国家ぐるみの不正と思われても仕方ないだろう。

変化する日本人選手

 一時期、「自分のために楽しみたい」と発言をする日本人オリンピック選手が増えたことがあった。緊張を和らげるためや照れ隠しだったりするのかもしれないが、選手の個性というより、その時代に蔓延した極端な「個人主義」の風潮が、選手たちのああいった発言につながった面はあるのではないか。  それに比べて、今年の日本選手のインタヴューを聞いていると「支えてくれた方に感謝したい」との答えが多かった印象がある。多くの選手が同じような感謝を述べているので、これも無意識に「時代の空気」を読んでの発言といえるのではないだろうか。

日本人の国民性とは

 ところで、日本人はなぜオリンピック(スポーツ)に感動を求めるのか。たとえ、マスコミが感動を過剰演出していたとしても、やはり「感動」を求める国民の気持ちが強いのだろう。この日本人の国民性とはどんなものか。それこそ日本人の国民性は、ドーピングを許したりしないはずだし。  つまるところ、この日本で毎日、生活していることこそが、過剰演出だとわかっていたとしてもスポーツに感動を求めたり、あるいはドーピングは絶対に認めない、などの国民性を形づくっていくのではないだろうか。  日本人の、他人を思いやったり、正確さを求めたり、正直さを重んじたりする国民性。それは歴史のなかで育まれてきた。ということは、日本の歴史を知ることが日本人を知ることにも繋がる。

日本の歴史を知る

 日本近現代史の第1人者である伊藤隆東大名誉教授は『もう一度学ぶ日本史』(育鵬社)でこう語る。 「生まれたときは、日本人になるという可能性があるだけです。両親や周囲の人々から日本語を学び、日本人としての生活習慣を学び、学校教育を受けることなどによって、初めて日本人になったのです」 「いったい、私たちの祖先がどのような生活をし、どのような文化を育み、今日に至ったかという軌跡のすべてが日本史です」「こうした我々の祖先が、どのようにこの世界で生きてきたのかを知ることが、日本史を学ぶということなのです」 『もう一度学ぶ日本史』は育鵬社の中学・歴史教科書がベースになっている。この教科書は、戦後教育で否定的に捉えられてきた日本の歴史を肯定的に捉え、歴史の光と影をバランスよく記述し、日本の歴史に対する愛情を深めることのできる内容となっている。  日本史を学ぶ入口として、一般の読者にも読みやすいように再編集された『もう一度学ぶ日本史』をぜひとも読んでもいらいたい。(文/育鵬社編集部A)
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