学習指導要領って何?【第2回】――ゆとり教育の悲喜劇「活動あって学習なし」
経験主義教育としてのゆとり教育
こうした動きの中で、学習指導要領の骨格を検討する教育課程審議会(後に中教審の教育課程分科会となる)は、1976(昭和51)年に最終答申を文部省に提出しました。 そこでは、「ゆとりある充実した学校生活」が強調され、翌77年に文部省は、基礎的・基本的事項の理解に重点を置き教育内容を精選し、教科の学習内容を1割削減するゆとりカリキュラムの学習指導要領を制定しました。 これが、本連載の第1回目の冒頭に掲載した一覧表の第3期の「ゆとり教育の30年」の最初の10年である、(A)の「ゆとりカリキュラム」の始まりとなります。 小・中学校ともに、授業時数の削減にともない減少した時間を用いた「ゆとりの時間」が設けられ、地域の自然や文化に親しむなどの体験的な活動にあてることが考えられました。 つまり、系統主義教育から経験主義教育に「振り子」が傾いたのですが、このゆとりの時間が、 「有意義に使われることはあまりなかった。それにも関わらず、『ゆとり』という概念はこの後、学習指導要領で大きなウェイトを占めていく」(小林恵『「学習指導要領」の現在』学文社) ことになりました。 そして、中曽根内閣の肝いりで、抜本的な教育改革を目指す臨時教育審議会(1984~87年)が設置され、「教育の自由化」によって文部行政の画一性と日教組のイデオロギー優先の硬直性を打破することが意図されましたが、旧来勢力の徹底した骨抜きにより、教育の自由化は、「個性重視」の提言へと変質を余儀なくされたといえます。 ここからは、ゆとりと個性重視という二枚看板が大手を振るい始めました。教育現場では、ゆとりが有効に活用されず
(B)の「新学力観の登場」です。1989(平成元)年に改定された学習指導要領では、教科の学習内容が(A)に比べ、さらに1割削減され、小学校の理科、社会が廃止され、生活科が新設されることになりました。 また、「新しい学力観」という考え方が強調され、学習の「知識・理解・技能」よりも「意欲・関心・態度」が重視され、これまでの相対評価(成績順に一定の分布に当てはめる)を廃して、絶対評価(学習の到達目標を設定し、その達成度をはかる)が取り入れられました。 この時期には、単なる成績の分布を示す指標に過ぎない偏差値を、あたかも悪魔の指標のように捉える「偏差値一掃キャンペーン」が行われました。 このゆとりと個性重視という経験主義教育は、抑制されるどころかさらに加速していきました。学校の週5日制の完全実施もあり、「子どもたちが[ゆとり]のなかで[生きる力]を育む」という理屈付けの中で、(C)の学習指導要領の改訂が1998(平成10)年に告示されました。ここでは、教科の学習内容がさらに3割削減され、総合的な学習の時間が新設されるに至りました。 人間にとって「ゆとり」は大事ですが、教育現場では、このゆとりが有効に活用されたとは言い難い状況でした。総合的な学習といっても、教える教員側に授業方法の蓄積がなく、教育現場では「活動あって学習なし」という状況が生まれました。 つまり、児童・生徒は、なにがしかの活動を行うのですが、それが学習に結びつかないという悲喜劇が生じたのです。 (文責=育鵬社編集部M)ハッシュタグ
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