すべての労働を「金」と「時間」ではかっていいのか――「働き方改革」の議論への大いなる疑問

「働き方改革」の議論への大いなる疑問

<文/佐藤芳直>

 安倍内閣では昨年9月から働き方改革の議論が進められていたが、12月に電通の女性社員が過労自殺した問題があって以降、その議論は活発化し、今年3月末を期限に「働き方改革実行計画」が取りまとめられる予定だ。

働き方改革実現会議(出典:首相官邸ホームページ)

 2月14日の会議では、働き方改革の2つの柱である「長時間労働の是正」と「同一労働同一賃金の実現」に向け、政府原案が示された。長時間労働の是正に向けて導入を目指してきた罰則付きの時間外労働の上限については、年間720時間(月平均60時間)とするというものだった。

 この働き方改革は制度の改革を目指しているが、それにより、私たち日本人の「労働観の改革」を迫るものでもある。

 それにもかかわらず、日本人の労働観について議論されることなく、「これまでの日本の労働観は誤っていた」と一方的に決め付け、それを前提に議論が進められている。筆者には、「戦前の日本は悪だった」という歴史認識問題が思い起こされてならない。

 長時間労働の是正、非正規労働者の待遇改善、これは、少子高齢社会の日本の未来を考えても、女性、若者、高齢者の労働環境の観点からも重要な課題であることは間違いない。それが掛け声だけに終わらず実効性を高めるためにも、制度を見直し、変更する必要はあるだろう。数値化できる明確な尺度を設けることは、施策の結果を客観的に検証できる点でも有効である。

 だが、今進められている改革の議論は、すべての労働を「金」と「時間」という数字で計ろうとすることに偏り過ぎてはいないだろうか。

すべての労働を「金」と「時間」で計っていいのか


 例えば、労働時間というのは量の問題である。もちろん過酷な労働を良しとは言わない。しかし、労働には質と量がある。質とは何か。働き甲斐、やり甲斐、労働観のはずである。まず改革の前提として論ずべきはそこではないか。

 また、かつて日本企業の強さは、いわゆる「家族的経営」にあると海外から評価されていた時代があった。実際、日本企業には今でも家族的な結合や同志的結合のある職場が多い。疲れた社員がいたら、「お前、今日はもう帰れ。顔色悪いぞ」と声をかける先輩がおり、失敗して落ち込んでいる部下がいたら、「そんなことクヨクヨするな、よくあることだ」と励ます上司がいる。そのような家族的な職場環境の構築についても、制度ばかりではなく、本質的な議論が必要ではないか。

 なぜそれらに目がいかないで、労働時間と賃金ばかり議論しているのか。極めて官僚的な改革という印象を受ける。議事録を見ても、会議に参加している政治家、有識者、企業経営者の中に、本質的な議論を訴える人はいなかったようだ。マスコミも制度面について良し悪しを論じるのみである。

 筆者は、このような目先の改革をしていては、日本という国の国力、社会資本、あるいは日本という国の品質を下げることにつながるのではないかと危惧している。

マスコミは残業しなくても大丈夫なのか?


 そもそも電通問題を連日報道しているマスコミ自身は、本当に残業時間が減り、罰則規定が設けられても、その範囲内で仕事をしていくことができるのか? 今日はもう残業時間の範囲を過ぎたから、明朝のニュース用の映像の編集は間に合わない、新聞記事は間に合わない、今週発売の週刊誌の記事が間に合わない、それで済ませられるのか。自分たちは社会の木鐸だと思い、そこにやり甲斐を感じているからこそ、夜を徹してでも取材や映像の編集をし、記事を完成させるのではないのか。

 もちろん、人間としての質が劣化するところまで追い込んでしまうような過重労働は論外である。だが一方で、人間には頑張らなければいけない時期がある。大量の業務をこなすことによって身につくスキルもある。それは、現状の空気の中で沈黙しているサイレント・マジョリティが思うところではないだろうか。だから、単なる量で論じてはいけないと思うのだ。

「働く目的」をあらためて考えなければならない


 来月発売の拙著『なぜ世界は日本化するのか』(育鵬社)でも書いたことだが、制度的なことより、もっと高い視点でこの問題を見なければならない。停滞している日本経済を方向転換し、軌道修正するためにも、まず私たちがやらなければならないことは、「働く目的」という最も重要なことに立ち戻ることである。

 『海賊とよばれた男』のモデル、出光興産の創業者である出光佐三氏は、社員の教育は企業の業績のためにやるのではない、教育するのは当然のことだからやっているのだと言っている。人間を完成させるためのプロセスこそが企業の大きな使命だと考えていた。出光氏に限らず日本の経営思想には、一人の人間である社員を成長させることができれば、その社員一人ひとりが社会にとって有用な人間となり付加価値を生み出す、という確固たる信念があった。

 社員を教育するということは、その社員の人間性を高めることと同義である。人間性が高まれば、利己的な考えから離れることができる。自分だけ良ければいい、という発想から離れ、誰かのために働く、誰かを喜ばせるために何かをする、という考え方に変わっていく。これこそが「働く目的」、つまり「仕事」をするということの真の意味である。

 出光氏には、『マルクスが日本に生れていたら』という講義録があるが、そのマルクスは次のようなことを述べている。

 「時間あってこそ人間は発達するのである。勝手にできる自由な時間のない人間、睡眠・食事・などによる単なる生理的な中断は別として全生涯を資本家のための労働によって奪われる間は、牛馬よりも憐れなものである。」(『賃銀・価格および利潤』)

 果たして今の日本で、「時間は人間の発達の場」であると言えるような働き方をしている者がどの程度いるだろうか? この問題の本質は、「金」や「時間」の量ではなく、そこにある。

大切なのは「何時間働くか」ではない


 私の本業は経営コンサルタントだが、今まで4000社近くのコンサルティングをさせていただいてきた。コンサルティングの現場で真っ先に考えることがある。「この会社で働く人は、この会社がどうなれば、“誇り”を持って働くことができるのか」、この一点である。それ以外は昔からあまり興味がない。

 事業規模が大きくなれば“誇り”が持てるのかといえば、そうではないだろう。給与が増えれば“誇り”が持てるのか、そうでもない。「どうなれば、この会社の社員は自らの仕事に“誇り”が持てるのか」、そしてその一点のために経営がある、と思っている。

 そこで、「何がその会社の“誇り”か」ということをいつも考える。自らの仕事に本当に“誇り”をもてるかどうか、“人間の尊厳”を胸に仕事ができているかどうか。

 大切なのは、実は、「何時間働くか」ではなく、“働き甲斐”と“誇り”をもって、仕事に邁進できるような社会を作ろう、ということではないだろうか。

今の日本人に必要なのはクラフトマンシップ


 私は、人間はすべてクラフトマンだと思っている。ものづくりだけがクラフトマンではない。自分自身を成長させるクラフトマン、子供を育てるクラフトマン、経営者は自分の企業の器を育てるクラフトマンである。子育てはクラフトマンシップがなければできない。自分づくりもクラフトマンシップがないとできない。企業の風土文化もクラフトマンシップが必要だ。クラフトマンシップとは自分の理想のために手間ひまを惜しまない、それをベースとした発想である。

 マルクスは、労働者は他人に有用なものを作ることでその喜びを労働の中に見出し、誰もが完全なる人間となると言っている。

 本来であれば誰もが完全なる人間となるはずだが……。人間の本当の尊厳とは何かということを考えなければならない時代に来ている。

 今、私たちの社会は、働き甲斐、人間の尊厳、誇り、というものをどのように創造するのか、という課題にぶつかっている。政府並びにマスコミにはぜひ、その点についても議論していただくことを節に望みたい。

【佐藤芳直(さとう・よしなお)】
S・Yワークス代表取締役。1958年宮城県仙台市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、船井総合研究所に入社。以降、コンサルティングの第一線で活躍し、多くの一流企業を生み出した。2006年同社常務取締役を退任、株式会社S・Yワークスを創業。最新刊は『なぜ世界は日本化するのか』(育鵬社)。

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