朝鮮半島の有事を救う【岡崎久彦大使の安全保障論】(3)――GHQに植え付けられた観念的な平和主義

シンポジウムで発言する岡崎久彦大使

観念的な平和論との戦い


 岡崎久彦大使は、戦後の外務省のみならず、政党やマスコミ、教育界を覆っていた「観念的な平和主義」と一貫して闘ってきた。観念的とは、「具体的事実に基づかずに頭の中で 組み立てられただけで、現実に即していないさまや考え方」をいう。

 この平和主義は、簡単に言えば「社会主義、共産主義を理想として、日本が平和を希求していれば、平和を維持できる」という考え方であり、日米同盟という軍事同盟などはもっての他であるという思考だ。

 この観念的な平和主義がなぜ生まれてきたのか。これは、日本が先の大戦(太平洋戦争であり第二次世界大戦)で敗れ、アメリカを中心とするGHQ(連合国軍総司令部)によって軍事占領されたことに起因する。

 GHQの初期占領目的は、日本が再び連合国の脅威にならないようにすることであり、徹底した弱体化政策がとられた。

 まず、GHQは報道や出版を秘密裏に検閲し占領政策への批判を禁じた。このため、占領政策を後押しする論調が主流となっていった。

 次に、いち早く労働組合の結成が指令された。日本社会党や戦後になり合法化された日本共産党は、GHQの対日理事会の構成国であったソ連より秘密資金を得ていたとされ、労働組合の結成に影響力を行使し、アメリカの思惑とは異なっていたが、社会主義、共産主義の考え方が日本社会に浸透していった。教員団体の日教組や新聞の発行に従事する新聞労連などは、その中核的役割をになった。

 また、修身や日本歴史の教育も停止させられた。歴史教育は、過去から現在までを貫いてきた時間の流れを次の世代に継承していくことだが、これが断絶させられ、戦前は悪であったという歴史観に覆われた。

公職追放で人的な秩序が崩壊された


 さらに、GHQは極東国際軍事裁判(東京裁判)を通して主要な軍人、政治家を極刑に処すなどした。他方、戦争中に重要な地位にあった政財界、教育界、言論人など、約20万人を公職追放し、戦前からの人的な秩序を崩壊させた。

 そして仕上げが、日本国憲法における第9条の制定であり、交戦権の否認、戦力の不保持といった徹底した戦争放棄(平和主義)の考え方を浸透させた。

 こうしてGHQは、見事なまでの徹底した日本弱体化を行った。しかしヨーロッパや中国での米ソの対立(冷戦)が激化していくと、占領政策の副作用としての日本社会での社会主義、共産主義の浸透に危機感を抱いたアメリカは、日本をアジアにおける共産主義の防波堤とすべく
昭和22年頃より占領政策を転換し始めた。

 しかし、人々に一度根付いた共産主義・社会主義や観念的な平和主義は、容易に拭い去ることはできなかった。(続く)

(文責=育鵬社編集部M)

国際情勢判断・半世紀

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