朝鮮半島の有事を救う【岡崎久彦大使の安全保障論】(5)――原体験に刻まれたアングロサクソンとの同盟

岡崎久彦大使

伊藤博文の書を前にした岡崎久彦大使(写真提供=読売新聞社)

日英同盟以降の歴史


 もう一度、日英同盟以降の第一次世界大戦、さらに第二次世界大戦に向かう国際情勢を見てみよう。

 日本は、日英同盟の効果により日露戦争(1904~05年)を有利に戦い勝利した。その後、第一次世界大戦(1914~1918年)では、日英同盟に基づきドイツと交戦し、ドイツが権益を持っていた中国の山東半島の青島(チンタオ)や太平洋上のドイツ領の島々を占領した。

 日本国内は、大戦景気でかつてない好況をむかえ、鉄鋼や造船を中心に重化学工業が発展した。中産階級を生み、学術・芸術が振興し、大正デモクラシーが開花した。この日英同盟の時期は、明治維新後のわが国の絶頂期であった。

 しかし一方で国際政治の力学から見ると、第一次大戦で戦場となったヨーロッパは疲弊し、戦場とならなかったアメリカが台頭してきた。そして、日本の中国や太平洋上での権益拡大がアメリカとぶつかり始めた。

 当時、日英を合計した海軍軍事力はアメリカをはるかに凌いでいたので、アメリカが日英同盟の破棄を画策したのは、自国の国益からいえば当然であった。

日英同盟の破棄は、最大の痛恨事


 第一次世界大戦で、アメリカの恩義を日本より多く感じていたイギリスは、アメリカの提案を受け入れざるを得ず、1921(大正10)年のワシントン会議で日英同盟は解消された。これは、日本の近代史における最大の痛恨事であった。

 以後、日本は独力で国を守らざるを得なくなり、それはとりもなおさず欧米列強から猜疑の眼を向けられることであった。日本は、第一次大戦の勝利による中国の関東州・満鉄などの権益を得ていたため、その後、1931(昭和6)年の満州事変、1937(昭和12年)年の日中戦争へと向かっていくが、ますます世界から孤立した。

 1939年、ヒトラー率いるドイツがイタリアと結び、イギリス、フランスとの第二次世界大戦が始まった。当初のドイツの快進撃に目を奪われた日本は、1940(昭和15)年にドイツ、イタリアとの日独伊三国同盟を結んだが、イギリスと事実上の同盟関係にあったアメリカとの関係が決定的に悪化した。

 日本は、太平洋の覇権をめぐりアメリカと激突し、1941(昭和16)年、日米戦争である太平洋戦争に突入し、その後、岡崎大使の心の奥底に刻まれた風景となるのである。(続く)

(文責=育鵬社編集部M)

国際情勢判断・半世紀

外交戦略論の論客にして安倍外交の指南役だった著者が、後世の日本人に遺す唯一の回顧録!





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