僕は芸人、ときどき社長【第1回:たかくら引越センターが生まれるまで】

 初めまして! よしもとクリエイティブエージェンシーでピン芸人をしております、「たかくら引越センター」の高倉弘樹と申します。  僕の事をご存じない方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、芸人の傍ら、引っ越し会社の社長もやっております。社名は、「たかくら引越センター」。そう、芸名と引っ越し会社の名前が同じなのです!  この度、『日刊SPA!PLUS』さんで、コラムを書く機会を頂戴しました。「芸名と引っ越し会社の名前が同じ」と聞いても、よく意味が分からないと思いますので、まず第1回目は、僕の自己紹介がてら、僕の芸名の由来や、引っ越し会社を設立したいきさつについてお話していこうと思います。  そしてこの先は、今まで僕が芸人として、引っ越し屋として、社長として培ってきた経験を生かして、皆さんにいろいろとお伝えしていきたいと思います。  つたない文章ですが、どうか名前だけでも覚えていってください!! 僕は芸人、ときどき社長

誕生のきっかけは鈴木おさむさん

「お前、引っ越しが得意だから、たかくら引越センターっていう芸名でいけよ!」  2010年、当時組んでいたトリオを解散し、放送作家の鈴木おさむさんに今後の活動について何気なく相談したところ、2秒でこの言葉が返ってきました。 「高倉は、『たかくら』の方が字画が良いし、平仮名の方が親しみやすいでしょ? で、最終的に引っ越し屋作ったら面白いだろ!(笑)」  芸人、「たかくら引越センター」が誕生した瞬間でした。  学生時代から引っ越しのアルバイトを続けていたため、技術なら誰にも負けない自信はありましたが、その当時、僕にとっての引っ越しは、あくまでお金を稼ぐための手段。「引っ越し」という言葉には、むしろ地味とかダサいというイメージを抱いていたので、芸名に入れるという発想はまったくありませんでした。しかし、それを武器として見出してくれたのが、おさむさんだったのです。しかも、いちばんシンプル、かついちばん分かりやすい方法で。  ちなみに、「たかくら引越センター」の前の芸名は、「たかくら伝説」でした。今思えば、こっちの方がめちゃくちゃダサいですね(笑)。

カラテカ・入江さんのひと言で開眼

 そもそも、以前から先輩方の引っ越しのお手伝いをされていたのは、カラテカの入江さんでした。僕が初めて吉本の先輩の引っ越しのお手伝いをしたのも、入江さんに誘われたのがきっかけで、それはフットボールアワーの岩尾さんの時でした。第一線で活躍されている大先輩とあって緊張してしまい、今でははっきり覚えていませんが、終わった後に入江さんに言われたひと言が、 「お前、(引っ越し作業が)別格だな!」  ――その言葉が本当に嬉しくて、これが無ければ、その後もお手伝いを続けてはいなかったかもしれません。  余談ですが、どんな引っ越しだったか覚えてないと言いつつも、入江さんの手際が悪すぎて、始終作業の邪魔になっていたことだけは記憶にあります(笑)。 「今度から、先輩の引っ越しは高倉に全部任せるわ」  入江さんの人脈は芸人だけに限らず、アイドル、スポーツ選手、企業の社長など幅広く、いろんな方を紹介してくれました。芸人としての仕事はほぼ皆無に等しい僕でしたが、暇な時間だけは芸人の中でもトップクラス。先輩や紹介された方の引っ越しは、すべて僕がお手伝いしました。  そうしているうちに、芸人の間で口コミが広がり、先輩方がテレビで僕の事を話してくれるようになりました。さらには、それを観た番組の視聴者の方から、「自分の引っ越しもお願いしたい」という声を多くいただくようになりました。  そこで、本格的に引っ越し会社を作ってみようと思いましたが、貯金はゼロ。銀行にお金を借りようといくつか回りましたが、収入が月10万しかない僕にお金を貸してくれる所なんかあるわけもなく、ほとんどが話すら聞いてもらえない状況でした。 「イヤ~、そんなにうまくいきますかね? そもそもお引っ越し屋さんなんていっぱいありますし、今から始めても、他のお引っ越し屋さんに絶対勝てないですよ!!」  こう言い放った某銀行の若い融資担当のように、夢をバッサリ切り捨てるような心無い言葉をぶつけられて傷つくことも多々ありました。とくに、あの長めの「イヤ~」は、今でも目をつむれば聞こえてきます。今度会ったら、札束で頬を叩いてやりたいです!  あっ……すいません、毒が出ちゃいました……。  しかし、そんななか、おさむさんだけは違いました。 「お前、本当に引っ越し屋作るの? スゲー面白いじゃん(笑)! お金貸すから、やってみろよ!」  起業や経営の知識も全くない、ただ引っ越しが得意なだけの売れない芸人にお金を貸してくれたのは、親族を除いてはおさむさん、ただひとりでした。  あの時、なぜ、あんな大金をポンと貸してくれたのかの理由はまだ聞けていないですが、おさむさんの“面白い”の感覚は僕のような常人には理解できず、本当に神のお告げを聞いているのではないか、とたまに疑問に思ったりもします。  言葉ひとつひとつに重みがあり、常に背中を押し続けてくださったおさむさん。僕は、心の中で密かに“お父さん”と呼んでいます。(ご本人には口が裂けても言えないですが……)  結局、仕事用のユニフォームもおさむさんが用意してくださり、2012年、僕は念願叶って小さな引っ越し会社を作ることができました。  芸人「たかくら引越センター」による引っ越し会社「たかくら引越センター」。従業員は僕1人。トラックは小さなバン1台。紛れもない、日本一小さな引っ越し業者の誕生です。  それを先輩方が面白がって、いろんなところで話してくださり、今ではたくさんの方々から、お引っ越しの依頼が来るようになりました。2015年には法人化することもでき、現在はトラック5台、従業員も10人に増えました。 「お前、引っ越しが得意だから、たかくら引越センターっていう芸名でいけよ!」  あの言葉から僕の全ては始まりました。  お父さん、本当にありがとう! (注:もちろん、ここでいうお父さんとは、おさむさんのことです(笑))

夢は、自分の引っ越し番組での恩返し

「たかくら引越センター」を生んでくれた鈴木おさむさん、「たかくら引越センター」を育ててくれた入江さんを初めとした多くの先輩方。たくさんの方々に支えていただき、こうして「たかくら引越センター」は誕生しました。  僕にあったのは、引っ越しの技術と、あり余る程の時間。それと、人よりもほんのちょっと、ご縁を大事にしてみた。ただそれだけでした。  卵とベーコンがあったので、ちょっと胡椒をかけて焼いてみた……そんな感覚です……。  もちろん、引っ越しでたかくら引越センターを使って頂けるお客様にも、たくさん支えてもらっています。  そして……アメリカで20世紀最高の演説であると評されている、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉を借りて言いますと、 「I have a dream!!」  僕には大きな夢があります!!  いつか、引っ越しで稼いだお金を使って、自分で番組を作りたいのです!  僕は芸人ですから、支えて下さった方々と共演することで、恩返しがしたいのです。もちろん、引っ越しの番組。引っ越し好きによる、引っ越し好きのための、引っ越し番組。 「引っ越し」自体がメディアでフィーチャーされる機会はなかなか無いからこそ、僕が先頭に立ち、その楽しさを伝えていければと思います。  もちろん、僕がスポンサー様ですから、その時だけは、先輩方には僕に気を遣っていただいて……(笑)。  芸人としての「たかくら引越センター」、引っ越し会社「たかくら引越センター」が有名になるには、まだまだ先は長いですが、僕はこれからも走り続けます! そう、段ボールを抱えたまま……。  次回からはいよいよ、引っ越しのマル秘エピソードや、引っ越しの時に役立つ、目からウロコのコツなどをお伝えしていきたいと思います。どうぞご期待ください! 【たかくら引越センター】 本名:高倉弘樹(たかくら・こうき)。1982年4月27日、福岡県朝倉郡東峰村出身。東京NSC11期生。2005年に「たかくら伝説」としてデビュー。10年、芸名をたかくら引越センターに改名。12年、軽貨物運送事業として「たかくら引越センター」を開業する。15年には法人化し、一般貨物自動車運送事業の許可取得。芸人と引っ越し会社社長の2足のわらじを履いて活躍中。
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