狭心症のいろいろ[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第8話)]

心筋梗塞の闘病記・それぞれに死と向き合った

心筋梗塞の闘病記・それぞれに死と向き合った

不安定狭心症


 ボクが病院の各科からもらった資料には別々の病名が記載され、それは3種類あった。一つは狭心症、一つは労作性狭心症、もう一つは不安定狭心症とあった。

 基本的には狭心症であり、問題はないが、受け取る側では微妙に重みが違う。「不安定狭心症」という表現はより具体的であり、病状の深刻さが強調されていたように思えた。

 一般に狭心症といえば、心臓に血液を送る冠動脈が詰まり、血液の流れが悪くなる状態をいう。これには二つのタイプがある。一つは労作性(労作時)狭心症であり、もう一つは安静時狭心症である。

「労作時」というのは「階段を上がったり坂を登ったり」という体を動かしたときのことで、そうした時には全身の筋肉を動かすために酸素が必要となる。心臓もそれに応えようとするが、冠動脈が細くなっているために肝心の心臓に酸素不足が起こり、胸が痛くなる。

 普通この症状は3~5分で消える。ボクも近くの橋を渡るときにいつも経験しており、典型的な労作性狭心症だった。のちにわかるのだが、その狭窄度は75%だった。つまり4車線のうち3車線が詰まっていた。

 安静時狭心症とは冠動脈の一部が痙攣を起こすもので、睡眠中や明け方に起こりやすいという。

 そしてそれぞれの狭心症はまた二つのタイプに分かれる。安定型と不安定型である。安定型は、血管が詰まったといっても詰まった部分が詰まったなりに安定しており、そこの血管の壁が壊れるということがない。

 不安定型というのは、詰まった部分の表面膜が破れやすい状態か、すでに破れている場合で、粥種(じゅくしゅ・コレステロールの塊)が飛び出し、血栓化して、血流を止めてしまう場合もある。そうなると、心筋梗塞だ。

ボクの心臓破りの丘


 ボクが胸の異常を感じた橋も渡り終えると何事もないので、ボストンマラソンの心臓破りの丘を連想していた。現地の言葉ではハートブレイクヒルという。

 この丘を越えればゴールを目指すのみで、心臓破りのことなど忘れてしまう。ボクも橋を渡り終えたころには胸のことなど忘れている。

 しかし、不安定狭心症は間違いなく心筋梗塞の一歩手前。ハートブレイクと隣り合わせだ。心筋梗塞とは冠動脈に血栓が出来て、完全に詰まり、血流がストップして、心臓の組織が壊死する状態である。

 胸が激しく痛み、突然死に至る場合もある。まさに生命の危機である。少しずつでも血が流れている狭心症レベルとは異なる。

 狭心症の闘病記は殆どないが、心筋梗塞の闘病記はそれなりに目につく。『闘病見聞録』(宮口正和著)によれば、宮口さんはぐっすり寝込んでいた時に突然激しい胸痛に襲われた。『突然死!―私は急性心筋梗塞から生還した』(香取章子著)によれば香取さんも未明に突然、胸に極太の錐を刺されたような鋭い痛みに襲われたという。

『生還の記―心筋梗塞に襲われて』(三木卓著)によると、三木さんは電車に乗っていた夕方、腹から胸にかけて痛みを感じ、それが肩にまで及び、何とか自力で病院にたどり着き、心筋梗塞と診断されたらしい。

心筋梗塞は突然死と隣り合わせ


 急逝心筋梗塞の場合、死亡者は発作から1時間以内に出るケースが多いという。救急病院に運ばれる前に絶命してしまう人も少なくない。しかし、ボクもお世話になったCCU(冠動脈集中治療室)のある病院に迅速に運ばれると、救命率は格段に高くなる。

 ボクの知人に安静時狭心症の不安定型で未明に突然、あごや背中が痛くなるという人がいる。慣れたものでそうした時には救急車を呼ぶ段取りができているという。

 ガンと違って、瞬間的な対応の巧拙が命をつなぐか、断つかの分かれ目であり、そうしたリスクを避けるためには、日常生活はどうあるべきか。

 その本質は企業の危機管理に通じるものがある。ボクの勤める研究所は危機管理の研究もしている。危機管理の上手な企業は普段から準備ができている。

危機管理の要諦は危機でないときに危機を思い、対応を施しておくことに尽きる。

協力:東京慈恵会医科大学附属病院

【境政郎(さかい・まさお)】
1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。




関連記事