世界文化遺産から読み解く世界史【第32回:キリスト教ヨーロッパ文化の精粋――ローマ・ヴァティカン】

サン・ピエトロ大聖堂(縮小)

サン・ピエトロ大聖堂

芸術と宗教の結びつきから生まれた普遍的表現

 今回は16世紀以降のローマについて取り上げることにします。この時代の文化の高まりが結実したのがローマでした。ローマのサン・ピエトロ大聖堂はミケランジェロがつくることになり、ラファエロも、レオナルド・ダ・ヴィンチも、みんなローマに招かれて、ローマで最後の仕事をするわけです。カトリックの総本山にフィレンツェの芸術家たちが集結して、ここをより豊かなものにしていったのです。

 その建築美術は、文化創造における精粋といってもいいものです。特にシスティーナ礼拝堂です。ここは教皇が選挙によって選ばれるコンクラーベでも知られています。人々は、そこに描かれたミケランジェロの『最後の審判』や『創世記』といった壁画や天井画、あるいはモーゼの一代記やキリストの伝記などの作品を見ながら礼拝を行います。そういう芸術と宗教が結びついた非常に優れたキリスト教文化が生まれたのです。

 このヴァティカンの芸術作品や文化が、西洋的な意味での文化を結晶化していると同時に、私たちにとっても重要な意味を持っているのです。それは、宗教を超えた表現、人間の表現という点においてです。

 人間表現における普遍性というのは、文化の普遍性というものの原点になるのです。ミケランジェロやレオナルド、ラファエロらの優れた文化には、人間性を高める普遍性があるのです。

 これは日本の文化も同じように見ることができるわけで、仏教文化の普遍性が、奈良の文化や平安の文化、あるいは鎌倉に至る文化でわかるのです。

キリスト教の本質とは

 文化の高さというのは、生きるということの意味、生と死という人間の普遍性、その普遍性に依拠する感性、あるいは思想というものが共通しているからであると思います。
 
 それは何なのかというと、宗教というものが常に人々の心を高めると同時に耐えることを教えるのです。このことは拙著『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』(育鵬社)の中に詳しく述べたのですが、キリスト教の本質は、まさに「最後の審判」を人々が期待と不安とともに待っている状況で、それがキリスト教という宗教の基本なのだということです。
 
 つまり、いつか来るものを待っているという、その期待感が宗教の基本であるということです。それは結局人間が死を待ちながら生きているということと似ています。ですから、生と死をどういうふうに考えるか、どういうふうに思想化するか、そういうことを宗教が教えてくれるわけです。そういう点が、仏教とキリスト教に共通しているのです。
 
 ですから、私たち日本人も、ヴァティカンに来て、キリスト教を異郷の宗教だと思う必要はないのです。釈迦の言葉や、キリストの審判を待つことに、宗教の原点があって、その営みが文化を創り出していくということに重要な意義があるのです。
 
 それは現代でも同じことで、いまでもヴァティカンには大勢の人が訪れ、10億人もの信者がいるということが重要なことなのです。

(出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社)

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。

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