【連載小説 江上剛『一緒に、墓に入ろう。』Vol.18】 葬式帰りに遺骨を持ったまま向かった先は……
メガバンクの常務取締役執行役員にまでのぼりつめた大谷俊哉(62)。これまで、東京で勝ち馬に乗った人生を歩んできたものの、仕事への“情熱”など疾うに失われている。プライベート? それも、妻はもとより、10数年来の愛人・麗子との関係もマンネリ化している。
そんな俊哉が、業務で霊園プロジェクトを担当している折、兵庫県丹波にある実家の母が死んだ。
地元で暮らしてきた妹は嫁いだ身を理由に、墓を守るのは俊哉の役目だと言って譲らない。妻は田舎の墓に入りたくないと言い出す。
とりあえず、納骨までは母の遺骨を東京で預かる羽目になった。
順風満帆だった大谷俊哉の人生が、少しずつ狂い始める……
「墓じまい」をテーマに描く、大人の人生ドラマ――
第三章 麗子の深情け Vol.18
俊哉は、大きめの紙袋を抱えて東京駅でタクシーを待っていた。
紙袋の中には、母の遺骨が入っている。
「参ったな」
紙袋を覗きながら、俊哉はぼやいた。
新幹線が東京駅に近づいた頃、俊哉は、急に麗子に会いたくなった。
実家から、東京駅まで五時間から六時間もの間、ぐじぐじと、時には激しく小百合の文句を聞かされ続けてきた。
いい加減にしてくれと、背もたれを倒すと、後ろに座っていた乗客が、立ち上がって「背もたれを倒す時には、一言、断るものじゃないですか。パソコンが落ちそうになりました」と頭の上から苦情を言ってきた。
見上げた視線の先には、まだ若いサラリーマン風の男性がいた。
「あなた、謝って」
小百合が怒った顔で言い、自らも「すみません」と頭を下げている。
「申し訳ありません。すぐに元に戻します」
俊哉も座席から立ち上がり、頭を下げた。
「いえ、背もたれをもとに戻せとは言っていません。背もたれを倒す権利は、あなたにあります。しかし、権利を行使する際に、他者への配慮が必要だろうと申し上げたかったのです。それが民主主義だと思います」
若い男性は真面目な顔で言った。
俊哉は、彼があまりにも突飛なことを言っているように思えて「はぁ」としか返事が出来なかった。新幹線の背もたれを倒したことで民主主義について講義されるとは思わなかった。
あまり関わりたくないと思い、若い男性にはもう一度、「すみません」と言い、背もたれを上げた。
「ほんと、非常識なんだから」
小百合が、俊哉を見て、鼻梁に皺を寄せて、毒づいた。
その時、一瞬、目の前に麗子の顔が浮かんだ。俊哉さん、と呼び掛けている。
「銀行に寄るから、お前、一人で帰ってくれ」
俊哉は言った。
「あっ、そうなの、真面目なことね」
小百合は、ちょっと小首を傾げたが、疑っている様子はない。
「ああ、今、六時だから、ちょっと寄って行く」
「夕飯はどうするの?」
「気にしないでいい。誰か役員と一緒に食べるから」
「そうなの?じゃあ私は一人ね」
小百合が、私の隣の席に置かれている遺骨に目を遣った。「じゃあ、そのお母様もご一緒に連れて行ってあげてくださいな」
軽い調子で言い放つ。
「おいおい、今、なんて言った?」
目を剥いて聞き返す。
「だからお母様を一緒にお連れになってくださいなと申し上げたのでございますことよ、ほほほ」
まるで人が変わったかのように馬鹿丁寧に言う。
「そんなことできるわけがないだろう」
怒った口調で返す。
「だってお母様、東京見物したいんじゃないですか。私と二人きりで食事をするより、ずっと楽しいと思います。東京だよ、おっかさんって感じ」
こくっと小首を傾げて、笑みを浮かべる。
「馬鹿にしてるのか」
不機嫌な表情で顔をしかめる。
小百合の表情が、急変する。
「あなたのお母様でしょう。あなたが最後まで面倒を見なさいよ。私は、今から帰って家でこの遺骨と二人きりになるのは、絶対に嫌、嫌なの。これまでお母様に散々いじわるを言われてきたわ。気が利かない、料理がマズイ、俊哉がかわいそうだ、あんな学歴では俊哉の出世の足を引っ張る……」
小百合はここぞとばかりに指を折る。「だからもし、この遺骨と二人きりになったら、蹴とばすかもしれないわよ。これを東京に持ち帰るなんてあなたが、清子さんにいいように言いくるめられるからよ。いつもいい加減、なにもかも曖昧にして、結論を先送りして、問題を大きくするのよ、あなたは。この遺骨は清子さんに預けて、ちゃんと御詠歌をあげるんだぞと言いつけるのが、長男の役割じゃないの。お母様がかわいそうじゃない。あんまりだわ。息子にも娘にも邪険にされて、死んだらこんなものかと思うと、絶望ね……」
小百合は、留まるところを知らない。速射砲が、びしびしと俊哉の胸に当たる。声は抑えているが、周囲には聞こえているだろう。
「あのぅ、少し、静かにしてくれませんか。議論は民主主義の基本ですが、ののしりあうのは違います。ののしりあっても解決にはなりません。止めてください」
先ほどの若い男性が、立ち上がり、小百合を見つめて言う。
変な男だが、いいことを言うじゃないか。小百合の文句が止まった。小百合は大きく目を見開き、しゃべるのを止め、頭を下げた。すみませんと謝罪し、以後、一切、口を開かない。
「結局、俺が持って歩くことになってしまった、どうするんだよ、まったくぅ……」
小百合は、断固として持ち帰りを拒否したのだ。
タクシーが来た。俊哉は乗り込み、紙袋を膝の上に置くと、六本木にやってくれと言った。
今日は、確かクラブは休日のはずだ。麗子は自宅にいるに違いない。俊哉は、いそいそとスーツのポケットからスマートフォンを取り出し、麗子の番号を呼び出した。
<続く>
作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)
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