独裁を目ざそうとする習近平の野望③
天皇陛下との会見
2009年12月の訪日の際に、天皇陛下との会見をごり押しした時の習近平の肩書は国家副主席で、この国家副主席には前年2008年に就任している。 日本訪問時点では、江沢民の後を受けてのトップ就任がすでに決まっているといわれており、天皇陛下との面会は、日本に対する中国の力を誇示したもので、時期国家主席のお披露目であるとともに、箔付けの意味もあったのかもしれない。 この時の日本側は鳩山由紀夫が首相。宮内庁が慣例をたてに反対していたにもかかわらず、当時の小沢一郎民主党幹事長が、これも強引に認めさせたと報道された。 その際、小沢幹事長は役人ではなく、政治が決めることと言い放ったというが、民主党よりのほとんどのマスコミは、政治主導の小沢一郎の行動に問題にすることはなかった。 しかしながら、現安倍政権の政治主導に対しては徹底的に反対するのは、まさにマスコミのご都合主義というものだろう。江沢民の後ろ盾
話を習近平に戻すと、彼は父・習仲勲が文化大革命で失脚したため、陝西省に追いやられ、そこで7年間にわたって農業をすることになった。そこでの習近平の地道な仕事ぶりが評価されたのか、共産党に入党後、地元の生産大隊の共産党支部書記に就任することになる。 精華大学では工学部を卒業していた習だが、さまざまな党の役職を経たのち、上海市の汚職事件をきっかけに党書記へ就くことになる。胡錦濤直系で共産党青年団に属していた年長の李国強と出世を争っていたが、習近平は2012年共産党総書記に選ばれた。 胡錦濤とその前任者である江沢民との間では派閥争いがあったといわれているが、上海閥の実力者・江沢民の引きが大きかったともいわれている。 中国には胡錦濤の団派(共産主義青年団)、江沢民の上海派、革命元勲らの子弟が集う太子党という三つが力を持った派閥であり、習近平は前述のように上海閥ということになる。中国共産党の組織
中国の最高意思決定機関は、組織上では、国家主席、国務院総理を含む中国共産党中央委員会の中になる政治局で諮られるのだが、それの中枢になるのが政治局常務委員会となる。国家の重要な案件は常務委員会での多数決で決まるといわれている。 常務委員会は7名、月1度開かれる政治局会議は25名、年2回程度の中央委員会には約250名いて、その下に中央委員候補が約200名いる。 習近平が2012年から中国のトップに立ったが、毎年7%程度の経済成長が続くという、表向き絶好調の経済に支えられていたといってもいいのだろう。 参考文献:『習近平の死角――独裁皇帝は間違いなく中国を自滅させる』宮崎正弘著/育鵬社刊ハッシュタグ
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