世界文化遺産から読み解く世界史【第63回:雲崗石窟と龍門石窟】

龍門石窟(縮小)

龍門石窟

仏教伝播の成否は仏像にあり

 仏教の文化遺産に、雲崗の巨大な石窟があります。これは5世紀から6世紀にかけて、北魏の時代につくられました。巨大な仏像がたくさんつくられています。しかし、その仏像には個性がありません。微笑みを浮かべた、釈迦の解脱した姿を描こうとはしているのですが、深さが表現されていません。同じ顔の彫刻であるという画一性が見られる一方、官能性さえうかがえます。  少し後の時代、5世紀末に北魏が洛陽に都を移した後につくられた龍門石窟は、雲崗石窟や敦煌の莫高窟と並んで、非常に仏像の数の多い遺跡です。10万余体の仏像が壁面に彫られています。これは、雲崗の仏像と比べると質的には高まっています。一番優れているのは、中央の奉先寺洞にある盧遮那仏です。  しかしこれも、釈迦の解脱、釈迦が諦観の中にいるということを感じさせるだけの深みがありません。もちろん仏像というものが、人々になじんでもらうためにつくられたという側面はあるのですが、ある種の高貴さが欠けているといわざるを得ません。これは必ずしも力量不足という問題ではありません。仏教理解の不足によるものと思われるのです。    仏教関係者や仏教史を研究しておられる方には誤解されるかもしれませんが、仏像を見ることで仏教を理解するという当時の人々の感覚は、これを無視することはできません。経典や説教は言語の問題があるため、一般の人々には理解できない側面もあるのです。そうしたときに、仏像が、視覚的な影響力によって仏教を広める役割を果たしているのです。ですから、大げさにいえば、仏像がしっかりと仏教の教え、世界観を表現しているかどうかに、仏教の伝播の成否がかかっているといってもいいのです。  そういう偶像崇拝が、仏教にもキリスト教にもあったことで、世界的な宗教になったという点を押さえておかねばなりません。これは仏像などの偶像の表現の質とも関連する問題です。    結局、中国に仏教は広まりましたが、定着はしませんでした。仏教に深い思索が生まれることはありませんでした。そのかわり、儒教や道教のほうに多くの思想家が生まれたといっていいでしょう。    龍門の石窟に彫られた17メートルほどの像が、日本の大仏に影響を与えたことは確実です。多くの遣唐使がそこに行って、日本に伝えているのです。それは石窟に彫られた磨崖仏です。  ところが、日本は銅を鋳て青銅の仏像をつくったのです。その技術力、表現力の繊細さ。残念ながらいまの大仏は江戸時代に復元されたもので、創建当時の面影はないといわれています。創建当時の大仏は、同時代につくられた東大寺三月堂の不空羂索観音や日光・月光菩薩から類推すれば、見事なものであったことは間違いありません。    日本は、先輩にあたる龍門の石窟の盧舎那仏を立てて、それよりも少し小さめの大仏をつくるという謙虚ささえ持っていました。しかし、サイズでは譲っておきながら、青銅によって大仏をつくるという技術力と、それを木造建築によって覆うという見事な創造性を示しました。質的な面でいえば、龍門の石窟をはるかにしのぐものを日本の大仏は持っていたといえます。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史』『日本が世界で輝く時代』(いずれも育鵬社)ほか多数。
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