日本を本当に豊かにするためのプロジェクト⑤

「スープラ」と「インフラ」の間の無限循環

言うまでもなく、こうした政治プロセスや技術は、インフラの上に形成された「スープラ」の枢要部である。 そもそも政治プロセスは今日では民意に支配的影響を被るが、民意なるものは社会活動全体によって規定される。さらには、土木技術も「経験の蓄積」や「伝承」という社会的活動と、人々の言語を用いたコミュニケーションによって高度化していくものなのである。 つまり、インフラは確かにスープラを決定付けるものなのであるが、そのインフラもまた、自身が決定付けたスープラによってイノベート(innovate)されていくのである。 かくして、スープラとインフラは、互いが互いを決定付け合う循環構造を形成しているのである。

インフラを軽視する日本は必然的に衰退する

ここで、「活力ある国家」と「活力のない国家」の二つをイメージしてみよう。 まず、活力ある国家とは、経済にせよ防災にせよ外交にせよ、何らかの課題に直面すれば、総合的、長期的な視点から何らかの対策を図ろうとする。 その時、インフラによるスープラの破壊的とも言える決定的影響力に鑑みるならば、さまざまな局面において多様なインフラ事業が決断されていくことは必然と言えよう。 そうなれば、スープラが展開し、それによってまた新たな課題が浮き彫りとなる。そしてそうなれば再び、時の政府は次のインフラ事業に着手することになるのである。 かくして活力ある国家においては、さまざまなインフラ事業が展開され、このインフラとスープラの間の「無限循環」が、旺盛に展開していくことになるのである。 その結果、インフラにおいても、そしてスープラにおける各種要素(社会、経済、政治、技術、文化)においても実にさまざまなイノベーションが展開され、それらを通して国家はますます繁栄し、経済は大いに成長し、人口も増加していくことになる。 一方、「活力のない国家」においては、どのような課題に直面しようと、それに対して積極的に対策を図ろうとはしない。 対策を図る場合でも、できるだけ各種コストがかからない安易な、すなわち「楽」な対策だけで済ませようとする。 というよりもむしろ、普通の国家ならば「課題」であると認識するような事態でも(できるだけ何もしたくないがゆえに)、課題だと認識することすらない、ということが往々にして生じてしまう。 結果、インフラ事業はほとんど進められなくなっていく。そうなれば必然的に社会のあらゆる側面において停滞し、衰微、衰弱していくことが常態化していく。 インフラとスープラの循環そのものが停滞し、イノベーションなどほとんど見られなくなっていく。経済は沈滞し、縮小していくと同時に、人口も縮小していくこととなる。 藤井聡著『インフラ・イノベーション』(育鵬社刊より) 著者紹介。1968 年奈良県生まれ。京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。第2次安倍内閣で内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)を務めた。専門は公共政策に関わる実践的人文社会科学。著書には『コンプライアンスが日本を潰す』(扶桑社新書)、『強靭化の思想』、『プライマリー・バランス亡国論』(共に育鵬社)、『令和日本・再生計画 前内閣官房参与の救国の提言』(小学館新書)など多数。
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