ばくち打ち
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(19)
「おおっ!」
「わっああ!」
とか、
「行ったあああっ」
「ぎゃっ!」
「ふひゃっ!」
と異なる叫び声が、同席者5人のすべての口から同時多発的に発せられた。
打ち手たちの背後で、決勝戦を監視・監督・審判も兼ねる良平の口からも、言葉にならぬ空気音が漏れる。
「一発目からオール・インかよ」
と、あきれた顔の小田山。
蒼ざめた優子が、隣りボックスの小田山にゆっくりと頷く。
微笑もうとしているのだろうが、口元が引き攣っていた。
「ノー・モア・ベッツ」
の声がディーラーの少女から発せられ、もう後戻りはできない。
一枚目がプレイヤー、二枚目がバンカー、三枚目がプレイヤー、四枚目がバンカーと、シュー・ボックスからカードが引き抜かれた。
二枚ずつ重ねられ指定の場所に一旦置かれると、ディーラーが無表情にカードを開いていく。予選と同様に決勝卓も、フェイス・アップ(打ち手たちはカードに触れられない)のルールだ。
まずプレイヤー側が、リャンピン・サンピンのいわゆる「不毛の組み合わせ」。4と7が開かれて、持ち点1となる。
「はっ、はっ、はっ」
と、安堵とも嘲笑ともとれる声が同席者たちの口から噴き出した。
「ハン(=プレイヤーを指す広東語)、ヤット(=1)」
と言ってから、ディーラーがバンカー側の二枚のカードをひっくり返す。
2と5のカードで、
「チョン(=バンカーを指す広東語)、チャッ(=7)」
と少女が読み上げた。
それまでは、「不毛の組み合わせ」の持ち点1だったプレイヤー・サイドを舐め切っていた、一番から五番ボックスまでの打ち手たちが、ここで同時に、
「うっ」
という苦し気なうめき声を発した。
二枚ずつを開いて、持ち点が1対7なら、後者のバンカー・サイドの方が圧倒的に有利はなずだが、経験的にバカラの勝負とは、そういうものでもない。
とりわけこの状態では、モーピンとリャンピンという「肥沃の組み合わせ」を持ちながらも、しかし一発で「ナチュラル・エイト(つまり、プレイヤー側が三枚目のカードの権利を失う)」を起こせなかった。肥沃な土壌に作物が育っていない。ここが、つらいところなのである。
二枚引きか、あるいは三枚引きでもそうなのだが、1点足らずの7の持ち点で終わると、後方からの捲(ま)くりが飛んでくることがある。いや、あるというより、そういうケースが多かった。
世界中のカジノのバカラ卓で、
Seven never wins.
と呼ばれる状態である。
これは、ラスヴェガスでもモナコでもシンガポールでもマカオでも、英語でそう言われていた。
こういった局面での敗北の記憶が強烈なだけで、実際にはもちろん7で勝つことはあるのだが、なぜか確率的には考えられないほど多くのケースで、捲くられてしまう。
それゆえの、同席者たちの苦しいうめき声だった。
この場この時、優子を除く打ち手たちは、バンカー側・プレイヤー側のどちらのサイドに賭けていようが、バンカー側の勝利を望んでいたはずだ。
ところがプレイヤー・サイドは、首の皮一枚を残してまだ生きて(=チャオ)いる。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(18)
午後7時の決勝戦開始時間が迫り、良平が携帯で呼び出しを掛けようと思ったその時に、優子がフロアに現れた。
鏡を見る時間もなく、ソファの上で目覚めるとそのまま下に降りてきたのだろうか。優子の髪は乱れたままだ。
「間に合ったあぁ~」
と優子。
「ぎりぎりだ」
と良平が受けた。
「エレヴェーターの中で、戦法が閃きました」
と、良平の耳元で優子が秘かに囁いた。
「決勝テーブルでは、皆さんが飛ぶのを待っているだけではいけないのだとしたら、皆さんが飛ぶように仕掛ければいいのですよね。わたしが最初に飛んでしまうかもしれないけれど、最初に飛ぼうと四番目に飛ぼうと、結果は同じなのですから」
と、自らに確認するごとく、優子が小声で呟く。
戦術に関して、良平には答えようがなかった。
博奕である。丁と出るか半と出るか、わかりゃしないのだ。
時間となり、勝ち上がり6人が裏返したカードを引いて、席順が決まった。
優子は六番ボックスの札を引く。
ディーラーに向かって左端の席となった。
「口切りベット」は、各ボックス5回ずつあり、通常どのボックスでも、有意と呼べるほどのアドヴァンテージは生じないはずだ。
勝ち上がり6名の席順は、以下のとおり。
一番ボックス;表向きは広告会社経営だが、実際はヤバい筋への金融屋だろう百田。
二番ボックス;この大会の言い出しっぺだった大阪の釜本。「地面師」関連の不動産屋である。
三番ボックス;札幌のジャンケット業者・五島が連れてきた客で、才川と名乗る中年男。ウニ・ナマコ・カニなどの密漁業の網元だといわれている。
四番ボックス;九州で風俗店のフランチャイズを経営する山段。
五番ボックス;広告屋の小山田。今回絶好調で、予選は断トツで通過していた。
決勝メンバーはどれもこれも、お天道さまの下を堂々と歩ける連中ではなかろう。
そして六番ボックスが、主催者側が穴埋めに急遽起用した弱冠25歳の優子。
予選敗退組の6人は、『天馬會』の別のテーブルで、バカラのカードを引いていた。
チョイヤー、コンッ、といった掛け声が、決勝卓まで届いてくる。
大会決勝戦といえども、所詮他人のカネだった。予選敗退組には興味なし。唯一重要なのは自分のカネである。
まあそれが博奕場での「正しい生き方」だろう。
* * * *
「それでは皆さん、グッド・ラック」
たったそれだけの良平の短い挨拶で、優勝賞金8000万HKD(1億2000万円)・準優勝賞金4000万HKD(6000万円)のバカラ大会決勝戦が開始された。
一番ボックス・百田が「口切り」のベットで、ミニマムの1万HKDをバンカーを指定する枠に載せた。
サイドこそ異なれど、順に二番・三番・四番・五番ボックスと、ミニマムでのベットがつづく。流れが見えてくるまでは、そんなものなのだ。
六番ボックスの優子が、同席の打ち手たちの動きに注意を払わず、じっと自席前の羅紗(ラシャ)に積み上げられてある、トーナメント・チップのスタックに眼を落していた。
しばらく間を置いて、優子は顔を上げた。
大きく息を吸い込んだ優子は、眦(まなじり)を決すると、
「オール・イン」
と静かに宣言する。
そして手持ちのすべてのチップを、プレイヤーを指定する枠の中に押し出した。初手に、マックス・ベットの100万HKDである。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(17)
決勝戦の開始まで、1時間ほどあった。
良平がオフィスに戻ると、優子がiPadを操作しながら、サンドウイッチを頬張っている。
大会参加者たちから依頼された案件が、どうやらまだ片付いていないようだ。
優勝賞金は800万HKD(1億2000万円)である。
間違って優勝でもしてしまったなら、そのうちの半額6000万円が、良平の約束どおり優子の取り分となった。しかも無税で。
それにしては、優子に気負った素振りは見えない。そのこと自体は歓迎すべきなのだろう。博奕でイレ込むとロクなことがない。
優子はサンドウイッチを咀嚼しながら、iPadを見詰めて淡々と事務処理をおこなっていた。
「忙しくてランチを食べる時間がありませんでした。朝早くフロアでクロワッサンをひとついただいただけだったのです」
紙ナプキンで唇をぬぐって、優子が言った。
「どうも、驚いたね」
と良平。
「大事な試合の前です。腹が減っては戦いくさができぬ、って言うじゃないですか」
と、コーヒーを口に流し込んだ優子。
「そうじゃなくて、予選のことだ。大会で、最初から最後までミニマム・ベットを続けた打ち手なんて、初めて見た。それも一方のサイドだけへ」
と良平。
「バカラ大会では『同席者が勝手に負けるのを待つ』と教えてくださったのは、良平さん、あなたでしたよ。わたしは疲れ果てていたから、考えるのも面倒だったし。おまけにどうせ考えても、わたしはケーセンの読み方も知らないわけですから」
「なんかバカラ大会における生き残り方法のお手本みたいな打ち方だった。でも決勝テーブルでは、そうはいかないよ。予選は生き残りを目指した『受け』で通過できても、決勝は『攻め』も組み合わせる打ち方が必要だ。ここいらへんの加減は難しい」
「難しいことなど、わたしにはできません」
と優子が応えた。
「三着以下は賞金がつかない、賞状も出ない。まあ、賞状なんてもらっても、嬉しくはないのだろうけれど。『ご苦労さん』の一言で終わってしまうのだから、みんな優勝を狙った打ち方をしてくる」
「それで皆さんが飛ぶのを待っていては、いけないのですか?」
と優子。
「原点維持を狙うという戦法もありそうだけれど、終わってみれば、普通一人か二人は水面上からかなり顔を出しているものだ」
「ふ~ん」
優子がサンドウイッチの最後の一片を口の中に放り込んだ。
「じゃ、どうしろと?」
と、優子が良平のアドヴァイスを促した。
「わたしにもわからないさ。もし『必勝法』なんてものが存在するとしたら、世界中が億万長者だらけとなってしまう」
「それもそうですね。お仕事のお邪魔になるかもしれないけれど、わたしはそこで、すこし横になります。大事な試合の前ですので」
そう言ってから、優子は立ち上がりオフィスの隅にあるソファの上で手足を伸ばした。
短めのスカートがめくりあがり、優子の細くて長い脚が付け根まで露わとなる。
それが気になって、とても事務整理などできそうもなかった。
オフィスでの仮眠用に常備してある毛布をロッカーから取り出すと、良平は優子の上に掛けた。
優子はすでに苦しそうな寝息を立てている。(つづく)
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(16)
28クーめでは順に、一番ボックスの小田山が、30万ドルのプレイヤー・ベット。 五番ボックスの北海道の打ち手と2番手に着けた六番ボックスの広告屋が、共に20万ドルのバンカー・ベット。 まだ、お互いに出方を窺っている状 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(15)
良平のスピーチが終わるとすぐに、予選が開始された。 優子が坐るA卓では、初手は全員がミニマムの1万HKDベット。 トーナメントでは、だいたいそんなものだ。 サイドは分かれていた。 三番ボックスの優子はバンカー側 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(14)
大会用のテーブルの設定は、部屋持ちジャンケットの『天馬會』にまかせてあった。 連中は慣れている。 『三宝商会』がおこなう、出場権1500万円・参加者12名限定・優勝賞金1億2000万円、などとは桁違いのバカラ大会を、 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(13)
バカラ大会は、予選が土曜日午後5時、決勝が同日7時開始の予定だった。 当日到着の参加者もあり、そういう中途半端な開始時間となる。 優子にとっては、すこしハードなスケジュールとなってしまった。 日本からは午前5時香 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(12)
本当は、優子に欲を出してほしくなかった。 なぜなら、欲を出すと判断に負荷がかかる。 判断に負荷がかかれば、サイドを誤るケースが多くなった。 無欲自在が博奕では一番なのだが、そもそも無欲であるなら博奕など打たないだ […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(11)
もっとも前年末に成立した法令によって、本年(2019年)末から、ジャンケット関係者を含むカジノ職員は、勤務時間以外にゲーミング・フロアに入ることが禁止されていた。 マカオのカジノ関連法令の実施には、澳門博彩監察協調局 […]
第6章第3部:振り向けば、ジャンケット(10)
「あの会社は、韓国ではカジノ事業者として大手の副社長が、独立して立ち上げたものなんだ。だから日本からの客が多くついていた。それだけじゃなくて、海外で打つ内国人の大口リストも握っていた。マカオに進出してから最初の数年は、勢 […]