香山リカの裁判傍聴シリーズ――植村隆さんの裁判を見てきた
3月23日、日差しは春だがまだまだ風は冷たい札幌に向かった。
札幌地裁で開かれた元朝日新聞記者・植村隆氏が起こしている裁判を傍聴するためだ。植村さんは現在、元東京基督教大学教授の西岡力氏と出版社を東京で、そしてジャーナリストの櫻井よしこ氏と出版社を札幌で訴えている。両氏は植村隆氏を「捏造記者」と雑誌の論文やインターネットのサイトで繰り返し指摘し、それに対して植村氏は慰謝料の支払いと謝罪広告の掲載という形での名誉回復を求めている。3月23日は櫻井よしこ氏に対する裁判の第11回口頭弁論で、3月23日、原告植村隆氏、被告櫻井よしこ氏に対する本人尋問が行われることが決まっていたのだ。
朝9時半すぎに札幌地裁前に着くと、まだ傍聴券を求める列はできていない……と思いきや、さすが札幌、気温が低いので傍聴者は地裁1階の会議室やロビーに並ぶことになっており、すでに多くの人が列を作っている。その最後尾に加わり番号札をわたされしばらくすると、裁判所の係員が「並んだ人数は252人、一般傍聴券は63枚です」と発表があり、会議室でひとりひとり抽選の結果を教えてもらう。「ちょうど4倍か。当たるかもしれないし、当たらないかもしれない」と何も考えずにパソコンのところに行き、番号を告げると「あたりです」と告げられ、傍聴券をわたされた(図1)。「やったー!」と喜ぶわけにもいかないので、冷静さを装い、8階の805号法廷へと向かった。
裁判は10時半から始まり、まず植村氏への主尋問が行われた。植村氏サイドの弁護士からの尋問なので、当然のことながら厳しい追及などはあるはずがなく、櫻井氏らが「捏造」と決めつけた1991年の2本の署名入りの朝日新聞記事について、取材のきっかけや具体的な取材のプロセスなどを植村氏が時系列に沿って説明するように、尋問が組み立てられていた。
最初の記事のいわゆるリードの部分は、こんな言葉で始まる。
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』(中略)が聞き取り作業を始めた。」(朝日新聞、1991年8月11日大阪本社版)
この「連行」という言葉を櫻井氏らは問題にするのだが、記事の本文には「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた」とあり主尋問で植村氏は、「意に反して連れて行かれ、監禁されて繰り返し日本兵にレイプされた、という一連のプロセスをリードで『連行』と表現した」と語った。
また主尋問では、2014年になって櫻井氏や西岡氏の発言、記事が拡散されると、当時、勤務していた北星学園大学(札幌市)にもおびただしい抗議の電話、メールが押し寄せ、その中には高校生だった娘への殺害予告などもあった、という生々しい被害の実態も語られた。
植村氏への主尋問は1時間ほどで終わり昼休みになったのだが、8階から1階へ降りるエレベーターの中でちょっとした“事件”が起きた。
傍聴のあいだ私のふたつ隣に座っていた男性が、「娘が脅されたというの、あれは自作自演だよな」と誰に聴かせるでもなく語り出したのだ。
「本当の日本人はそんな卑怯なことはしない」「あれは植村やそのまわりの反日連中が自作自演したんだろう」などとニヤニヤしながら話し続けるので耐えられなくなり、私と同じエレベーターにいたジャーナリストの安田浩一さんが反論してしまった。「自分の娘の殺害予告をどうして自作自演なんかするんですか?」「なんの証拠があってそんなひどいこと言うんですか?」。
エレベーターが一階に着いたあとも、男性は「本当の日本人はあんなことしないんだよ!」などと言い続けたので、「本当の日本人ってなんですか?」ときくと、返ってきた言葉は「オレみたいな人間だ」とのこと。あとできくと、男性は札幌のヘイトデモ常連参加者だそうだが、「自分は本当の日本人、ほかは反日」などいわゆるネトウヨロジックは全国共通なのだろう。
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