せんべろブームの功罪。“映え” のために飲み屋街に来る一見客は、店のためになるのか?

 街の至るところで再開発が行われている。まるで傷を覆い隠すかのように白い囲いができている。そんな再開発で今、急速に失われつつある古き良き“せんべろ街”。  そもそも“せんべろ街”のルーツとは?歓楽街以外の「飲み屋街」は存続できる?“路地徘徊家”フリート横田氏に話を聞いてみた。

せんべろ街のルーツは“闇市”

[せんべろ街が消える]の大問題

※画像はイメージです(以下同)

 岐路に立たされるせんべろ街だが、一体どのように誕生したのか。“路地徘徊家”フリート横田氏は「闇市にルーツがある」と話す。 「終戦後、焼け野原となった主要駅前をテキ屋が整理して闇市ができました。戦災者や元兵隊、引き揚げ者などが元手なしで簡単に始められる商売が、線路脇のバラックや露店での飲み屋だったのです」  復興が進むと路店商たちは集団で立ち退き、移転先で新たな飲み屋街を形成した。 「もう閉鎖されましたが、神田のガード下にあった今川小路や神田小路も戦後マーケットの移転先です。  当時は旧国鉄から店子が直接借りている場合があり、さらに、旧借地法では借家人の立場が強い場合があった。そのため何十年にもわたって駅前の一等地でも家賃を抑えられ、資本力のない個人経営の店が多様性をつくってきたのです」