「矢口、圭ちゃん…2期メンバーにとっては怖い存在」中澤裕子が振り返る、モーニング娘。初代リーダー時代の“知られざる孤独と葛藤”
1990年代後半から2000年代にかけて、”国民的アイドル”として活躍したモーニング娘。の初代リーダー、中澤裕子さん。前編では、中澤さんが2014年、夫の仕事の都合と育児のために福岡に移住するまでの経緯に焦点を当てた。
モーニング娘。時代はメンバーやファンにも怖がられる「姐さんキャラ」と認知されていたが、約20年が経ち、1児の母となった今、本人から受ける印象はきわめて穏やかだ。当時、本人は何を感じていたのか。今だからこそ言える思いを語る――。
ーーモーニング娘。がデビューするまでの様子は、合宿も含めてオーディション番組『ASAYAN』で密着されていました。テレビの演出もあったとは思いますが、当初はグループ内のメンバーに怖がられていましたよね。
中澤:デビュー前の合宿の時から、自分が最年長でした。なので、13歳くらいだった他の子たちからすれば「先生以外で接する初めての大人」みたいな存在だったと思います。しかも、髪の色も派手でしたし、関西弁だったので怖かったかもしれませんね。
まぁ実際、そんなに私も優しい方でもなかったので(笑)。テレビで見ていただいていた姿が素ではあったと思います。
ーーそうなんですか?(笑)
中澤:自分の意見も率直に言うタイプでしたし。なにより、私も必死でしたからね。
演出もあったとは思いますが、自分がどう映っているかを意識する余裕なんてなかったので。
ーー最年長ということもあり、デビューが決まってすぐリーダーを任されていました。リーダーとしての意識はすぐに持てましたか?
中澤:まだ芸能界のことは全然わかりませんし、最初は「班長」くらいの感覚でした。ただメディアに出るようになると、コメントを求められる回数はやっぱりリーダーが多い。私の言葉がグループの意見として広まっていくことがわかるようになって、責任感が芽生えてきましたね。
ーー怖がられていたことも含め、孤独感はありましたか?
中澤:やっぱり年齢の近い者同士で仲良くなっていきますよね。私は元々、集団で動くことが得意ではなかったこともあって、そこに、あえて入っていくということはしませんでした。
初期のメンバーは、わりとすぐに壁がなくなりましたが、さやか(市井紗耶香)とか圭ちゃん(保田圭)や矢口(真里)などの、2期メンバーからすると怖かったみたいです。
逆に、私も彼女らがどんな子たちか最初はわからない。「孤独」というより、距離感はあったとは思います。今は10代だったメンバー達と変らない年頃の娘がいるので、理解もできるようになりましたが、当時はひたすら必死だったという感じですね。
※10代の娘。たちを束ねるリーダーから、実の娘を育てる母へと変わっていった中澤裕子さん。有料記事後半では、娘。時代の超多忙スケジュールを乗り越えたからこそ見つけた自信と、大切にしていきたいことについて語ってもらった。(残り:1056文字)
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

その笑顔には、怖いリーダーの面影はもうない
「実際、優しい方ではなかったです」
2期メンバーにとっては“怖い存在”
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。