更新日:2025年07月03日 10:36
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「怖いイメージで警戒されているのがわかる」モーニング娘。OG・中澤裕子が語る、福岡への移住で“変えたかった自分”

1998年にデビューした「モーニング娘。」で初代リーダーを務めた中澤裕子さん。当時はグループ最年長の「姐さん」キャラとして人気を博した。夫の仕事の都合で2014年、福岡県に移住し、現在は福岡を拠点に、情報番組などでコメンテーターとして活動している。 ’01年にグループを卒業、以降はソロ活動を続ける形で芸能界の第一線を走ってきた中澤さんにとって、東京を離れるのが大きな決断だったことは想像に難くない。福岡に移り住んでから10年が過ぎ、当時と現在、そしてこの先について何を思うのか。本人がその思いを語る。

移住に対する心境の変化を語る中澤裕子さん

引退も覚悟しての移住だった

ーー私が福岡出身ということもあり、中澤さんが福岡に移住する報道が出たときは「ゆかりもない福岡になぜ?」と、青天の霹靂でした。当時移住を決めた経緯を改めて教えていただけますか? 中澤裕子(以下、中澤):夫は会社経営者なんですが、元々東京と福岡に会社を構えていたんです。結婚の話が出始めていた頃に一度「福岡に行きたい」と言われましたが、はじめはその気持ちがなくて断りました。 ーーそこから、なぜ福岡に移住することになったんですか? 中澤:’12年に子供が生まれて、価値観が変わったことが大きいです。モーニング娘。としてデビューが決まった時、「私は、モーニング娘。になるために生まれて来たんだ!」と感じたんですよ。 それが、娘を授かった時には「私は、この子を産むために生まれて来たんだ!」と思ったんです(笑)。 ある時、娘と二人でいるときに「この家族がいれば、住む場所なんてどこでもいいかも」とふと思えたんですね。そこで夫に、「今だったら福岡に行けるよ」と伝えました。 ーー人生の主役が、ご自身からご家族になったことが大きかったんですね。 中澤:家族が一緒にいること、娘をしっかり育て上げたい気持ちが大きくなりました。そうなると、夫と私がお互いに納得のできる環境に行くのがベストだと考えました。 ーーとはいえ、東京を離れれば芸能のお仕事にも制限がかかりますよね。 中澤:私自身が制限をかけるというより「もう使っていただけないだろうな」という気持ちでしたね。芸能のお仕事は、自分がしたいと思っても求められないと続けられませんから、引退でも仕方ないという覚悟はありました。
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移住後は振舞い方を変えた
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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「中澤裕子Birthday☆Live~5+2~」
日時:2025年6月28日(土)
場所:GRIT at Shibuya(東京) 
1公演目 開場日時 14:30  開演日時 15:00 
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2公演目 開場日時 18:00  開演日時 17:30 
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