更新日:2026年08月19日 19:44
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『まだおじさんじゃない』現代中年 惑いまくり小説【第九章・第三話 若林信二編】「探し物はなんですか」/鳥トマト

漫画編集者として働く若林信二。担当コミック『わたしの理解あるカレ君』がアニメ化され、ライツ事業部・堅山賢一主導のもと好調だが、作者・ヒルビリー真中との関係は悪化の一途を辿る。若林はカウンセラー・山本唯花とは同棲を機に、自堕落な生活を見つめ直すが…… 「僕も五十歳になったときに、部長のような力を維持できているだろうか」――。『東京最低最悪最高!』が話題の人気漫画家・鳥トマトが“大人にならなければ”と自らを戒める中年の心の惑いを描く。

第九章(若林信二編)・第三話「探し物はなんですか」

 真中との地獄のような打ち合わせから一年が経った。  編集部でくしゃみが出て、僕は鼻の頭を掻いた。季節はすっかり春になり、薄いトレンチコートをロッカーにかける。パリッとしたコートを見て、唯花がリビングで「急に暖かくなってきてびっくりしちゃうねぇ」と言いながら丸まってアイロンをかけていた姿を思い出し、にやける。 「若林さん、来週くらいから産休ですよね。頑張ってくださいね」  席に着くと三上に声をかけられた。三上は会社員としては後輩だが、産休を取得したパパという点においては先輩だ。三上は人事部への書類申請の仕方などを丁寧に教えてくれていた。 「生まれる前にオムツと液体ミルクは絶対買っといた方がいいっすよ。生まれてから買いに行くの地獄なんで」  三上も先輩風を吹かせられるのが嬉しいのか、全力でアドバイスをくれる。液体ミルクの話を聞いたのは今月三回目くらいではないか。  デスクの上はもうすっかり片付き、最低限のパソコンだけがちょこんと置いてある。唯花がいつ産気づいて、突然休みが始まっても大丈夫なように準備は万全だ。  一応作って、と編集長に言われて作った業務の引き継ぎ書を眺めながら、正直ワクワクしていた。自分の子供ができる。それに伴って準備するものの全てが、人生で初めてだった。もうすっかりこの世の面白いことに対して不感症になってしまった自分にも、まだこんなにワクワクすることが残っていたなんて。左手薬指の結婚指輪を見る。
漫画家でありながら、歌ったり踊ったり、また小説家としても活動する奇才。現在、『二月に殺して桜に埋める』『私たちには風呂がある!』を連載中。その他の著書に『東京最低最悪最高!』『アッコちゃんは世界一』などがある。Xアカウント:@tori_the_tomato