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52歳で月収4万円の非常勤講師…不運は新卒就職難から始まった「採用1人に300人が殺到する時代で…」
更新日:2025年04月16日 18:53
仕事
投稿日:2025年04月16日 07:01
52歳で月収4万円の非常勤講師…不運は新卒就職難から始まった「採用1人に300人が殺到する時代で…」
週刊SPA!編集部
バックナンバー
―[
[氷河期貧困]の実態
]―
現在41~54歳の氷河期世代はまさに“受難の世代”だ。就職難から始まり、なんとか会社に潜り込めても、リストラに怯え、退職後は年金までむしり取られるのは必至。時代に翻弄され続ける彼らの実情に迫った!
1人の教員採用枠に300人が殺到!?
バブル崩壊後、1993年から’04年にかけて多くの企業が新卒採用を大幅に減らした就職氷河期。1990年代末には大手金融機関が相次いで破綻。’00年の大卒者の就職率は50%台にまで低迷し、就活戦線は大いなる“異常”に見舞われていた。 「もはや就職できれば『どこでもいい』と思っていました」 そう当時を振り返るのは、私立校の非常勤講師、飯田誠さん(仮名・52歳)だ。直近の4年間は月収4万円の「実質、無職状態」だという飯田さんだが、苦境は新卒の就職時から始まっていた。 「この頃、新卒採用抑制の流れは教員採用の現場にも及んでいて都立高校では1人の採用枠に300人が殺到するのもザラ。今でこそ教員の『なり手不足』が問題視されていますが、当時の僕たちに正規採用なんて夢のまた夢でした」 かろうじて都内の中堅女子校に職を得た飯田さんは、理科の非常勤講師として勤めることになった。 「手取りは16万円でしたが、実家暮らしだったので、なんとか生活はできていました」 折しも、1990年代後半からゼロ年代半ばにかけては労働者派遣法の度重なる改正で、非正規雇用の枠が一気に拡大した時期でもある。その後、同一賃金同一労働の原則は反故にされ、「派遣切り」が大きな社会問題となるが、飯田さんもまた非常勤講師として約10年間、“漂流”することになった。 「ようやく私立の男子校に潜り込めたのは33歳のときでした。だけど、職員室を見渡すと50~60代の年配と20代の新人ばかり。数少ない同期に正規教員はほぼおらず、人件費削減のために非常勤講師が使い捨てされている状況でした」
過労死ラインを超える過酷な労働
週刊SPA!編集部
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