人生で初めて錦糸町に降り立つ…美味しかったはずの町中華『桂林』での出来事/カツセマサヒコ
ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回訪れたのは、東の歌舞伎町とも言われる繁華街・錦糸町。飲食店が立ち並び、夜のお店も多いディープな街だ。
そんな地に人生で初めて降り立った著者が向かったのは町中華の『桂林』。いったいどんなお店なのか? 願いは今日も「すこしドラマになってくれ」。
東京都墨田区の南側に、錦糸町という街がある。
大学に通っていた頃、仲の良い友人が「俺たち、錦糸町のラブホ全制覇を目指してるんだよ」と、隣に座る彼女を抱き寄せながら言った。彼女もまんざらでもない顔をしていて、二人の脳は性欲に溶かされてしまったんだと思った。
それをきっかけに「錦糸町はラブホテルの巣窟」と頭に刷り込まれた。あれから約18年。すっかり令和である。
4月、午後2時。人生で初めて、錦糸町駅に降り立った。
グーグルマップに指示されるまま北口を出て、少し歩く。錦糸公園という大きな区立公園に入ると、ベビーカーを押す若い夫婦やテニスコートに入っていく老人たちなどが目に入る。ラブなホテル街とは到底思えない穏やかな景色が、まったり広がっている。
ウィキペディアで雑に調べると、同じ錦糸町でも、反対側の南口は、ラブホ街やキャバクラ街、性風俗街、場外馬券場などが集まる「東京23区東部最大の歓楽街」らしい。
駅の出口によって空気がガラリと変わる街を、いくつか知っている。治安等の課題はあるのだろうけれど、街がそこに生きているような気がして、なんだか面白いよなといつも思う。
さらに5分ほど足を進める。交差点に面した飲食店に、10人近くの列を目撃する。
看板を見れば、「桂林」とある。今回の目的地としている、老舗の町中華店である。
心音が大きくなった気がした。それが興奮よりも緊張によるものだと、すぐにわかった。私は、一人で行列に並ぶのが大嫌いだった。列に並んでいる自分を俯瞰で捉えたとき、いかにも有象無象の一つになった気がして、恥ずかしくて耐えられなくなる。
列に並ぶ人たちは、皆一様に、常連客のような空気を醸している。これもまた、嫌いなポイントである。
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
美味しかったはずなのに【錦糸町駅・桂林(中華店)】vol.5
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」



