更新日:2026年05月08日 17:32
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金曜夜8時にテレビで輝いた新日本プロレス――浮き沈みを越え、棚橋弘至社長が語る「V字回復」の条件

新日本プロレスの人気プロレスラーにして「100年に一人の逸材」と言わしめ、プロレスラーを引退したばかりの第11代社長(’23年12月就任)棚橋弘至が、日々の激務のなかでひらめいたビジネス哲学を綴っていく。今回は「V字回復」について。棚橋社長はいったいどんな結論に至ったのか。(以下、棚橋弘至氏の寄稿)

vol.65 群雄割拠の新日本。新時代を担う選手と、再躍進へと突き進む

 3月で創立54周年を迎えた新日本プロレスですが、景気に変動があるように、そんな新日本プロレスの54年の歴史にも、良いとき、悪いときがありました。  毎週金曜夜8時に地上波で『ワールドプロレスリング』が放送されていた昭和の時代。アントニオ猪木さんに、坂口征二さん、長州力さん、藤波辰爾さん(現役!)とスター揃いでした。
トップロープより愛をこめて

棚橋弘至 ©新日本プロレス

 その後、1984年に前田日明さんらが抜け、「UWF」を設立したのが新日本プロレスにとって最初のピンチだったと聞きました。  そして1980年代後半、テレビ放送はもう深夜に移行していましたが、橋本真也さん、蝶野正洋さん、武藤敬司さんの【闘魂三銃士】の活躍で、1989年には初の東京ドーム大会「’89格闘衛星☆闘強導夢」が開催されました。  ’00年代に入り、藤波さん、長州さん、橋本さん、武藤さんと主力選手が退団し、「冬の時代」と呼ばれる時代に入ります。この頃、初めてIWGPチャンピオンになったのが僕、棚橋でした。  新日本の歴史の中で下がりに下がっていった’00年代、’07年の収益が過去最低でした。まさに、棚橋のチャンピオン時代ですね。  新日本プロレス自体で、経営が立ち行かなくなったとき、救っていただいたのがゲーム会社のユークスさん。’05年から’12年に現在の親会社ブシロードに代わるまで支えていただきました。  その後、棚橋の地道な活動や好試合もあったところに、ブシロードグループとしての大がかりなプロモーションが始まり、新日本プロレスがV字回復! コロナ禍で苦しんだ局面もありつつ、現在に至っています。

1976年生まれ。新日本プロレスの第11代社長(’23年12月就任)。’26年1月4日を以て現役を引退。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」