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『まだおじさんじゃない』現代中年 惑いまくり小説【第八章・第二話 堅山賢一編】「お誕生日おめでとう」/鳥トマト

出版社・有幻社で働く堅山賢一はプロデューサーとして、漫画編集者・若林信二の担当コミック『私の理解あるカレ君』のアニメ化を進めている。上司が仕事を放り投げて異動したため激務を強いられ、家庭もうまく回らず、さらに後輩の山野と肉体関係を持ってしまい…… 「僕も五十歳になったときに、部長のような力を維持できているだろうか」――。『東京最低最悪最高!』が話題の人気漫画家・鳥トマトが“大人にならなければ”と自らを戒める中年の心の惑いを描く。

第八章(堅山賢一編)・第二話「お誕生日おめでとう」

 暗い部屋で六本のろうそくが刺さったホールケーキを見つめている。リビングの壁には、妻の優が写真映えするようにと百均で買ってきたハート形の風船がいくつも両面テープで貼り付けてある。 「ハッピバースデーディア健吾~、ハッピバースデートゥーユー!」  六歳になったばかりの健吾がろうそくの火を吹き消す。優がパチパチと拍手をして、スマホを健吾の方に向けて動画を撮影している。 「はい、健吾さんの今年の目標はなんでしょうか?」 「トミカの名前を全種類覚える!」  俺は優が子供にまで今年の抱負を聞くのを正直疎ましく思っていた。去年のことは去年、今年のことは今年を生きながら考えればいいじゃないか。そんなことより仕事のメールに返信しないと。俺はテーブルの上にある社用スマホがさっきからずっと震えているのが気になって仕方がなかった。 「はい、じゃあ、パパは? パパの今年の抱負はなんですか?」  カメラ越しに優が聞いてくる。 「仕事を頑張ります」  俺がそう答えると優がため息をついて、スマホの動画撮影を止めるピッという音が聞こえた。優は部屋の電気をつけて、静かにニコニコしながらケーキを切り始める。健吾がチョコレートプレートを自分の皿に入れてくれとねだっている。  部屋が明るくなったので、俺は早速スマホを見て、メールを確認し始める。 「賢一くん、また仕事?」 「ごめん」  頭の上から氷みたいに冷たい優の声がして顔を上げる。 「家族で食事中だよ?」 「ごめん」  優は真顔だった。俺と優の顔を見比べて、健吾の顔からも笑顔が消える。ハリボテの楽しい誕生日会は終了したようだ。 「最近、平日の夜どこ行ってるの?」 「仕事が終わらないときは、会社とかラクーアに泊まってるんだよ」 「なんで帰ってこないの?」 「二人とも、もう寝てるのに起こしたら悪いと思って」  できるだけ平静を装って答える。健吾がケーキを食べるかちゃかちゃという音だけが部屋に響いている。 「寝る前に健吾の顔を見ようとか思わないの? 私と健吾のことは、もうどうでもいいってこと?」 「どうでもいいとは思ってないよ」  いや、本音を言えばどうでもいいと思っている。仕事に比べて私生活のなんと面白くないことだろう。それに、家庭の責任者は妻である優なのだから、俺が労力を割くのは違うと思う。家庭は俺のいないところで勝手に回しておいてほしい。そこまで手が回らない。 「私、これから二人目も産むかもしれないって言ってるのに、そんなんで大丈夫なの?」  そこに関しては以前から疑問だった。優は「妊娠したかもしれない」と去年から言い続けながら一向に病院に行っている気配はない。俺の気を引きたいだけなんじゃないかと薄々気づき始めていた。 「もうちょっとパパとしての自覚を持ってくれない?」  お前こそ、もうちょっと母親としての自覚を持て、と思う。俺は子供は一人で十分なのに、お前が勝手に「二児の母」になりたいんだろ? これ以上この味気ない私生活に俺がどうコミットしろと? 「なんか言ったら?」  健吾が不安そうな顔で優を見ている。その情けない顔をやめろ。お前も来年から小学生なら、もう少し大人びた顔をしろよ。俺がそれくらいの年にはもう、母親がいないときに弟の面倒を見たりしていたぞ。なんでそんなに子供なんだ? 「ねぇ、ずっと黙らないでよ? 何考えてるの?」  そんなに俺が何を考えてるのか知りたいなら、教えてあげた方がいいかもしれないな、と思った。ずっと張っていた水の表面張力が最後の一滴でこぼれたような感覚があった。 「会話しても面白くないから喋りたくないんだよ」  ナイフでケーキを切る優の手が固まる。 「もうちょっと優しい言い方、できない?」  もう十分に優しくしてるだろ。これ以上どう優しくしろって言うんだ。スマホがまたブブッと震えだした。メールだ。 「だって、妊娠した妊娠したって言いながら病院も行かないじゃない。嘘でしょ? そういう子供みたいな甘え方するのをやめてほしいんだよ」  優は机の縁を見つめながら固まってしまった。健吾が俺の顔をじっと見ている。優が下を向いたまま喉から絞り出すように声を出す。 「そうだよ。本当は妊娠なんかしてないの。心配してほしかった」  なんでそんな下を向いて固まっているんだろう。そうすれば可愛く見えて、優しくしてもらえると思っているのだろうか。もうこちらからは完全にそんな感情はなくなっているというのに。 「言ってくれなきゃ心配しようがない。そもそも俺は二人目が欲しいなんて一言も言ってないよ」  その言葉を聞いた優が顔を上げる。その目にみるみる水が浮かんできて、俺はたじろいだ。 「私が話すこと面白くないとか、私にも至らないところはいっぱいあるのはとっくに気づいてるよ。なんで私ばっかりに現実を直視させようとするの? なんでいつも本当のこと言うの?」  優がテーブルでボロボロ泣きだして、健吾が俺を見る。健吾の顔を見てギョッとした。怒っている。こんなに小さいのに。 「パパあっち行ってよ」  健吾が小さな手で俺の太ももを叩いた。 「ママのところに来ないでよ。あっち行ってよ!」  あっちってどこだよ。俺は健吾に今まで抱いたことのないイラつきが湧いてくるのを抑えられない。誰のために俺が体力の限界まで仕事をしてると思ってるんだ? このケーキは誰の金で買ったものだと思ってるんだ? 「私がもう好きじゃないの?」  顔をシワシワにしながら汚く泣く優を見て、俺は冷静に、申し訳ないがその通りだ、と思った。もう異性としてこの人が好きじゃない。だから大切にしようという感情が心から湧いてこない。こいつの息子もそうだ。同じ家に住んでいたいならいてもいいけれど、お互い何の干渉もなく生きていけるなら、それが一番居心地がいいとすら思っている。  俺はこの家族のことを、お互いを利用し合う他人みたいに思っている。会話もできないし、興味もないし、お互いの人格を人間だと認めていないし、愛おしいとも思ってない。  でもそれを口に出すのはさすがに憚(はばか)られた。人でなしと罵られるだろう。 「もう好きじゃないってことね」  最終確認するように俺の目を見て優はそう言った。俺は肯定も否定もしないで、ただ目を逸(そ)らした。  優が俺を睨みつけながら立ち上がる。 「健吾、もうお風呂入ろう」  優が健吾に声をかける。健吾の皿にはまだ半分以上ケーキが残っている。健吾が俺と優とケーキを交互に見比べ、ケーキを食べ続けようとした瞬間、 「風呂に入れって言ってるでしょ!」  と見たことのない剣幕で優が叫び、健吾は一瞬固まったあと、泣きだしてしまった。壁に貼ってあったハート形の風船の両面テープが剥がれて、ゆっくり床に落ちてくる。無理やり健吾を抱き上げた優が俺を睨む。 「そんな感じで仕事してたら、今にきっと仕事もダメになるよ」  優がリビングを出て、ドアをバンと大きな音を立てて閉めた。健吾の泣き声と、優が健吾を叱る声がする。手元のメールに目を戻す。今週収録のアニメの脚本チェックをしなくてはならない。 「今にきっと仕事もダメになるよ」  優の言葉がグルグル頭を回り続けた。完全に呪いだ。俺たちはお互いを呪い合うような関係になってしまった。これ以上は「夫婦」を、それが演劇だったとしても、続けられないだろうという予感が確信に変わっていく。  メールに『わたカレ』最新話の脚本が届いていた。面白くて思わず噴き出してしまう。現実が面白くないと、こうも創作物が面白く感じられるのは何故だろう。 まだおじさんじゃない/鳥トマト 堅山賢一…39歳。妻子あり。有幻社でアニメをプロデュースするライツ事業部に勤務。ヒルビリー真中の『私の理解あるカレ君』のアニメ化担当
まだおじさんじゃない/鳥トマト

堅山賢一

漫画家でありながら、歌ったり踊ったり、また小説家としても活動する奇才。現在、『二月に殺して桜に埋める』『私たちには風呂がある!』を連載中。その他の著書に『東京最低最悪最高!』『アッコちゃんは世界一』などがある。Xアカウント:@tori_the_tomato
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