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『まだおじさんじゃない』現代中年 惑いまくり小説【第八章・第三話 堅山賢一編】「文化に生き文化に死ぬ」/鳥トマト

出版社・有幻社で働く堅山賢一はプロデューサーとして、漫画編集者・若林信二の担当コミック『私の理解あるカレ君』のアニメ化を進めている。上司が仕事を放り投げて異動したため激務を強いられ、家庭もうまく回らず、さらに後輩の山野と肉体関係を持ってしまい…… 「僕も五十歳になったときに、部長のような力を維持できているだろうか」――。『東京最低最悪最高!』が話題の人気漫画家・鳥トマトが“大人にならなければ”と自らを戒める中年の心の惑いを描く。

第八章(堅山賢一編)・第三話「文化に生き文化に死ぬ」

「今日は読者の皆さんとお会いできてと~っても幸せ! アニメもすっごい、いい出来になるはずだから、楽しみにしててぇ!」  東京ビッグサイトでは毎年、三月末の土日に春のアニメBtoCイベントが行われる。俺は山野と、そのステージで光をいっぱいに浴びながらお客さんに挨拶をする真中先生を見ていた。通常このイベントのステージではアニメの声優やスタッフがトークをするのが恒例だが、真中先生の希望で、著者自ら挨拶をすることとなったのだ。騒がしいビッグサイトにいると気が紛れる。完全に崩壊した自分の家庭のことを考えなくていい。俺は喜んで休日出勤を引き受けた。 「真中先生ってステージ映えしますよねぇ。直前も私たちとここでず~っと喋ってたし、なんか心から人と話すのが好きって感じで、もはや芸人さんみたいな人ですよね」   山野が感心したように独り言を言っている。確かに、漫画が愛されるかどうかと、アニメが愛されるかどうかが別ものであるように、著者にファンがつくかどうかもまた、漫画を描くのとは別の才能が必要な気がする。真中先生は独特のオネエ毒舌キャラと、毎日の作画配信で、漫画作品とは別に著者そのものにもファンがいるという珍しい立ち位置を確立しつつあった。 「あっ、堅山さん、ここにいらっしゃったんですね! ご挨拶させてください」  アニメ制作会社の部長がわざわざ俺に声をかけてくる。 「いやあ、真中先生は才能豊かで素晴らしいですね。アニメもすごくいい出来になりそうで。堅山さんとの連携がバッチリなおかげですよ」  部長が名刺を渡しながら俺と真中先生を褒めてくれる。山野が名刺を見ながら「えっ、すごい」と驚いている。山野の立場で平素このクラスの人から名刺をもらうことはないのだろう。 「正直、猿渡さんが部長でいらっしゃったときよりも、堅山さんが部長代理になられてからの方がずっと仕事がスムーズで助かってますよ」  部長が小声でそう言って、心の柔らかい部分がむず痒くなる。この歳になっても真剣に仕事を頑張れば報われることもあるんだ、と小さな感動を覚える。 「もうアタシ、今日このステージのクソデカポスター見て泣きそうになっちゃって。いや、実はもう何回も泣いてるんだけど」  ステージの上で真中先生がペラペラと喋っているのが聞こえてくる。 「ついにアタシもこの日本のアニメっていうでっかい『文化』の一部になったんだと思って感動したのよね」  真中先生は喋るのがうまい。客席の一般客はもちろん、司会やバックヤードのスタッフまで彼の喋りにうんうんと頷いている。 「本当、漫画って『夢』なのよね。だからみんなで一緒にこのでっかい夢、叶えましょうね!」  会場はすごい盛り上がりだった。若林は渋っていたが、製作委員会に真中先生を入れたのはこのプロジェクトにとって今のところいい影響しかなかったな、と俺は素直に思った。今日も、担当編集なのに若林が来ていないことを不思議に思ったが、真中先生にも「若林ちゃんは最近プライベートが忙しいらしいから、ほっといていいわよ。最近もう原稿を渡す以外で連絡をとってないの。堅山ちゃんと山野ちゃんが来てくれればアタシは十分だし」と言われ、それ以上の追及はしないことにした。真中先生と若林の関係は、完全に破綻してしまったようだった。 「あ~っ! 見て! あのアニメ、二期やるんですって! アタシ大好きなの」 「あっ、でも待ってください。『わたカレ』のアニメポスターの方がデカかったですよ!」 「や~だ~山野ちゃんったらも~、うふふ~」  ステージのあと、観客に紛れてキャッキャと会場を回る真中先生と山野の背中を追いかけながら、俺は冷めた気持ちで大量に掲げられたアニメポスターや電光掲示板を見ていた。  この大量のアニメの中で、一体何作品が放映の翌年も視聴者に覚えてもらえているだろう。十年後は? 二十年後は? その一方で、五十年前の漫画作品をリブートしたアニメ化作品なんかも新作の中に交じっている。『わたカレ』はこの五十年前の名作漫画に勝てるのだろうか? 俺が自分の私生活を全て捧げてアニメをプロデュースしたところで、そのことを誰が覚えているのだろう。 「お腹すいたから、ご飯行きません? 堅山さん奢ってくださいよ~」  俺は急に振り返った山野と、それをニヤニヤと細目で眺めている真中先生を見て苦笑いする。そもそもなんでそんなに真中先生と山野は急速に仲良くなっているのだろう?  ビッグサイトの近くのレストランでタイ料理を食べながら、真中先生と山野はずっと喋り続けていた。 「実はこないだ堅山先輩の実家の近くに行ってきたんですよ。あの、『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪ロード」 「山野ちゃんに連れてってもらったの。すっごい良かったわぁ、温泉もあったし。癒やされた~」  なんと山野は真中先生を誘って二人で本当に鳥取の境港まで旅行に行ったらしかった。すごい行動力だ。山野の大胆さには感服する。キラキラに加工された真中先生のインスタの動画を見せてもらう。妖怪キャラクターの銅像の前で真中先生がキレッキレの動きで踊っている動画にたくさんのハートがついている。俺はさすがにこのノリにはついていけない。考えてみれば真中先生はちょうど山野と同じくらいか少し若いくらいの歳だ。気が合うのだろう。 「妖怪ロードってあんなふうに商店街全体と合体したみたいになってるの、すごいですよね。『わたカレ』も舞台になった高円寺の街とコラボとかできたらいいよね!って真中先生と話してたんですよ」  あんなふうにしたいよね、十年後も二十年後もずっとコラボとかしたいよねー!とキャイキャイと喜ぶ真中先生と山野を見ながら俺は不思議な感覚になっていた。  自分が『わたカレ』は『ゲゲゲの鬼太郎』ほどは絶対に大きくはならないだろう、と無意識に思っていたことに気がついたのだ。なんでそう思ってた?  俺は気づかないうちに、自分の担当作品に夢を見なくなっていたことを申し訳なく思った。 「私も『わたカレ』みたいな恋したいです。ね、センセ!」 「いいんじゃない? 好きな人と一緒にいるのは素敵なことよ! 自分のものじゃなくってもね、素敵な宝石を借りてつけてるって思えばいいのよ。つけてる間、その輝きは自分のものでしょ?」  真中先生は面白そうに俺を見ている。明らかに俺と山野がそういう関係であることに気づいてニヤニヤしているのだ。なんて性悪な生き物なんだ。でも作家ってそういうものなのかもしれない。 「夢見るのって素敵なことじゃない? 夢は叶わないかもしれないけど、見てる間、一生懸命走れるんだったら、それって素晴らしいことよ」  味の薄いフォーを食べながら真中先生の話を聞いていると、そうかもしれないな、と思えてきた。『わたカレ』は十年後、誰も覚えていないようなアニメかもしれない。でももしかしたら、名作の仲間入りを果たすかもしれない。高円寺の商店街とコラボだってできるかもしれない。夢を見ずに仕事を頑張ることはできない。家庭も私生活も何もかもうまくいってないが、もしかしたら俺は仕事を通じて文化の一部になることで、生きる意味を得るのかもしれない。  どうすれば夢を見られるのかはもう思い出せないが、夢見ることを夢見るくらい、いいじゃないか。 まだおじさんじゃない/鳥トマト 堅山賢一…39歳。妻子あり。有幻社でアニメをプロデュースするライツ事業部に勤務。ヒルビリー真中の『私の理解あるカレ君』のアニメ化担当
まだおじさんじゃない/鳥トマト

堅山賢一

ヒルビリー真中…29歳。漫画家。少女漫画風恋愛漫画『私の理解あるカレ君』のアニメ化が一度は頓挫しかけたが一気に進みだし、落ち込みからも回復
ヒルビリー真中

ヒルビリー真中

山野美羽…28歳。青界プロダクションから有幻社のライツ事業部に転職してきた。明るくて元気。上司である堅山と体の関係を持ってしまう
山野美羽

山野美羽

漫画家でありながら、歌ったり踊ったり、また小説家としても活動する奇才。現在、『二月に殺して桜に埋める』『私たちには風呂がある!』を連載中。その他の著書に『東京最低最悪最高!』『アッコちゃんは世界一』などがある。Xアカウント:@tori_the_tomato
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