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格闘家・鈴木千裕が「ファイトマネーにこだわる」理由。ギャラは新人時代から驚異の“1000倍超え“

「渡慶次さんがインタビュアーですか? ドッキリ、勘弁してくださいよ~、隠せないじゃん」 格闘技界では記者会見やSNSで、“紛い物”による舌戦で煽るのが常識の昨今。自称“本物“の鈴木千裕は、あまりそれを得意にしていない。「結局、チャンピオンじゃない。肩書がないから、そう盛り上げるしかないんでしょ?」。率直に話す鈴木。前代未聞のキック、総合の二刀流で王者になった、本物の格闘家が、同じジムの先輩である渡慶次幸平に狂った半生を明かした。

「大」のつく貧乏だった子供時代

鈴木千裕──ジムで出会った頃、いつも父親のお下がりの、ソウルオリンピック時代という感じの古いジャージを着てたよな? 鈴木:ウチは「大」のつく貧乏で、基本的に兄や父のお下がり着ていたっすね……。お小遣いも全然なくて、小学生の時は銭洗弁天みたいな神社で、水に清められている賽銭を盗ったり。自販機を壊そうとしたこともありましたね(苦笑)。父親は風来坊、母親が実質家計を支え、家にいないから食事はいつもインスタント。心が貧しかった。野球や剣道もやりたかったけど、道具にお金がかかるからダメで。 ──格闘技をやるのはお金かからなかったの? 鈴木:3歳から空手を習い始めましたが、道着もボロボロ。月謝袋さえ親に申し訳ないから渡せなくて、空手の先生からも「今月はいいよ」と気遣ってもらったり。俺が小さな自転車で3~4kmを必死に通っているなか、俺より弱ぇヤツが高級外車で送ってもらい、「クソッ!」と思ったりもして。 ──ペルー人のお父さんは怖かったと聞いたけど? 鈴木:日本語があまり上手ではなく、口より拳が出る感じで。殴られたり蹴られたりは日常で、空手の試合で負けたら会場の人目につかないところに連れていかれて、強烈な“愛のムチ”をもらってました。