仕事

JR九州社長に「ぶさいくな列車が走っていますね」と本音をぶつけて…鉄道デザイナー水戸岡鋭治氏、半生を振り返る

“ミトーカ”と鉄道ファンに親しまれるデザイナーがいる。その男は鉄道でタブーとされていた木材を内装に用い、独創的なデザインの車両を次々と世に送り出した。  彼の名は水戸岡鋭治。全国の観光列車ブームの火つけ役となった男だ。しかし、「できることはし尽くした」と昨年引退を示唆。  その本心に迫った。

鉄道デザイナー・水戸岡鋭治の歩み

エッジ0325 デザインを手がけた日本初のクルーズ列車「ななつ星 in 九州」が’21年から3年連続で“世界1の列車”に選出されるなど、40年近くに渡り、鉄道業界をけん引してきた鉄道デザイナー・水戸岡鋭治。JR九州を中心に、これまで手掛けた車両の数は80超。  しかし昨年、観光列車「赤い星」「青い星」を最後の仕事と仄めかした。引退が近づく男の本音に迫った。 ──鉄道デザイナーとしてデビューするまで、どんな人生を歩んでこられたんですか? 水戸岡:どんくさい子どもでね、小学生の頃は「鈍治」と呼ばれていました。勉強も嫌いだったけど、絵を描くのは好きで、高校卒業後は、実家の家具屋を継ぐために大阪のデザイン会社で3年間基礎を学びました。  でも、戦中派の親父ですから怖いしウマも合わなくてね。それで、イタリア・ミラノのデザイン事務所に入ったけど、3か月で辞めちゃいました。それからは列車でヨーロッパを周遊したんですけど、あの時の経験が今に繋がっているのかな。

転機はあるホテルのオープニングパーティーだった