更新日:2025年10月28日 18:03
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「若いなあ」11歳年下の後輩社員に息子に近い存在のように感じる/小説『まだおじさんじゃない』【第二章・第四話】/鳥トマト

 結婚してからの僕は、まるで「完璧な家庭」という演劇の役者になったかのようだ――。アニメプロデューサーとして働く堅山賢一、39歳。自身がアニメ化を担当する『私の理解あるカレ君』の第一回製作委員会に出席し、同い年のマンガ編集者・若林、中途入社の後輩・山野、バツイチの部長・猿渡といったメンバーと日々仕事をこなしていく。  部長のどうでもいいこだわり、と若者たちの「軽さ」に翻弄される毎日――。『東京最低最悪最高!』が話題の人気漫画家・鳥トマトが“大人にならなければ”と自らを戒める中年の心の惑いを描く。 

第二章(堅山賢一編)・第四話「跳ねっ返りうさぎ」

 僕は山野と、同じチームの後輩五人を連れて、飯田橋の寿司屋にいた。山野の歓迎会ということで、ランチミーティングを企画したのだ。 「山野さんのメール、うさぎのアイコンで可愛いですよね」    チームメンバーの一人が悪気なく山野に話しかけている。「そうでしょ? あのキャラクター、お気に入りなんです」と答える山野を見ながら、僕は憂鬱な気分だった。 「あの、山野のメールのアイコンさ、他社のうさぎのキャラクターでしょ? あれ著作権的に問題あるから、やめるように指導しといてくれない?」  今日の朝九時、ランチミーティングで失われる業務時間を補うべく早めに出社した僕を捕まえて、猿渡部長はそう言った。僕は内心、全てがどうでもいいと思いながら「わかりました、伝えておきますね」と言って笑っておいた。  部長のあの、些細なところで、「俺の方がお前よりも上の立場だからな」という「わからせ」を仕込んでいくテクニック、というか瑣末な嫌がらせは業務上必要なことというより、部長自身の性格によるところが大きいんじゃないかと僕は密かに睨んでいた。今年四十九の部長は僕と同様に他社からの転職を繰り返してこの部署にたどり着いた人間の一人で、とにかく上から言われた仕事を全て、上から言われたような形で、凄まじい量をこなすことで成り上がってきた男だった。猿渡部長のほかに、この会社に転職組で部長になっている人はいない。他部署の部長は全員プロパーなのだ。その状況を思うと、部長が定期的に自分の部下への影響力を試すために些細な「わからせ」でストレスを発散したい気持ちも、理解できなくはなかった。部長に「別にメールのアイコンなんて何の柄でもいいのでは?」などと進言したって無意味だ。これは部長が「自分の発言で、自分の部下が面倒を見ている新入社員に、何かを変えさせることができた」という実績から仄暗い快感を得たいがための行動なのであって、実際のところその「変化」がアイコンだろうが、服装だろうが、昼ごはんの内容だろうがどうでもいいのだ。  そういうことで、僕は山野に「メールに設定しているうさぎのアイコン、部長のために変えてもらえないかな」と伝えなくてはならなくなった。気が重い。 「山野さんがなんで有幻社に転職してきたのか、理由を聞いてもいいですか?」  チームメンバーがカウンターに置かれた寿司を食べながら無邪気に明るく山野に話を振っている。今日は新人歓迎会という名目で経費で店を押さえられたので、一人五千円と比較的高級な寿司ランチをカウンターの角席で食べている。若いスタッフたちは日頃来ないような店で、良い寿司を食べているので、機嫌がいい。正直、僕の方から二十代メインのチームメンバーと話したい話題なんか何もない。「カウンターの寿司」というエンタメで場が持ってくれたらそれでよかった。 「前の会社の仕事も楽しかったんですけど、まあ、一番はノリですかね」 「ノリ?」  僕は山野の回答があまりにも意味不明で聞き返してしまった。 「え、なんか、朝起きたら自分、もっといけるかもって、意味なくワクワクしてる日とか、あるじゃないですか。そういう日に、ポンッて、エントリーしちゃったんです。そしたらポンポン面接進んで。内定しちゃいました!」  僕は自分から思わず、生ぬるい笑いが出てしまったのを感じた。意味なくワクワクしてる日、か。知ってるかい、そんな日はもう、三十九になるとほとんど来ないんだよ。  チームメンバーが「じゃあ来てくれた山野さんに乾杯!」と言ってグラスを掲げる。それに合わせて乾杯しようとした拍子に、首にギクッと痛みが走り、僕は腕を上げるのを途中でやめた。 「山野さんって、服もいつもおしゃれですよね!」 「そう、すごいファッショニスタでびっくりした〜!」
漫画家でありながら、歌ったり踊ったり、また小説家としても活動する奇才。現在、『東京最低最悪最高!』『私たちには風呂がある!』を連載中。その他の著書に『アッコちゃんは世界一』『幻滅カメラ』などがある。Xアカウント:@tori_the_tomato