棚橋流モチベーションUP法「昔の自分を思い出す」/棚橋弘至 vol.56
新日本プロレスの人気プロレスラーにして「100年に一人の逸材」と言わしめ、第11代社長(’23年12月就任)も務める棚橋弘至が、日々の激務のなかでひらめいたビジネス哲学を綴っていく。今回は「思い出す」という行為について。棚橋社長はいったいどんな結論に至ったのか。(以下、棚橋弘至氏の寄稿)
先日、山口県下関市で試合でした。日本全国を回るプロレス興行の良いところは、あちこちに思い出ができることと、その土地の方々にお会いすることができること。
若い頃、大会のプロモーションでお会いした皆さんは、今でも応援していただけているし、何より「あのときは、あーで、こーで」と昔話に花が咲いて当時の状況を思い出すことができます。
今回はこの「思い出す」という行為にフォーカスを当ててみましょう。
下関の試合で、僕は、竹村豪氏(かつし)さんとタッグを組んで闘いました。
竹村さんは、プロレスラーもやりながら現在は下関市の市議会議員でもあり、そして、僕とは若手時代を新日本プロレス道場で共に過ごした仲間なのです。
今回の下関大会直前、エル・デスペラードが腰を痛めてしまい、急遽、下関市在住の竹村さんに声がかかったという流れです。
僕と竹村さん、矢野通くん(’02年に新日本プロレスに入門)は、なかなか新しく練習生が入門しても続かず、合宿所に3人しかいない時期が半年くらいありました。
3人しかいないので合宿所、道場、風呂、外掃除などの雑用はもちろんすべて3人でやっていました。
僕は寮長だったので、本来ならば、ちゃんこ番(料理当番や洗濯係)はやらなくてもよかったのですが、僕がやらないと竹村さんと矢野くんが1日置きに、ちゃんこ番をやらなければならない……。やりましたよ! ちゃんこ番! 寮長なのに!
1976年生まれ。新日本プロレスの第11代社長(’23年12月就任)。’26年1月4日を以て現役を引退。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」
今の自分は、昔の自分が思い描いた未来に立てているか

棚橋弘至 ©新日本プロレス
1976年生まれ。新日本プロレスの第11代社長(’23年12月就任)。’26年1月4日を以て現役を引退。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」



