恋愛・結婚

勝気な部下の仕草に、初恋の面影を重ね合わせて 『五十年目の両想い』/新堂冬樹

50年間、ひとりの女性だけを想い続けた男がいた。 恋も、結婚も、別れも経験した――それでも、心の奥にはずっと「あの日」の少女がいた。 『無間地獄』『カリスマ』『忘れ雪』。ヒトの欲望と本音を抉り出す人間ドラマから、胸を締め付ける純愛作品まで、ジャンルを超えて数多くの読者を魅了してきた新堂冬樹が、新たな長編『五十年目の両想い』を連載開始。 これは、人生最後の恋であり、人生最初の恋の物語。 【前回】⇒「教会で交わした“幼い約束”が、運命を動かす」 五十年目の両想い

1-1 五十五歳の豊

 切り株で作った椅子、一枚板のカウンターテーブル、天井で回る木製のファン……「童夢ファクトリー」の事務所は、もともと豊が所有していた軽井沢の別荘を改装してオフィス仕様にしたのだ。 「社長、どんな感じですか? なかなか、斬新でいいデザインが上がってきたと思うんですけど」  編集長の白川美沙が、パソコンのディスプレイに表示される画像をみつめる豊に、カウンターテーブル越しに伺いを立ててきた。  美沙は五年前……五十歳の節目に豊が設立した童話、児童文学専門の出版社である「童夢ファクトリー」の一号スタッフだ。  もともと豊が二十五年間勤務していた国内最大手の出版社「日光社」時代の部下だった。  美沙は豊が文芸部の部長だった頃に新卒で入社し、三年ほど文芸部にいたあとに雑誌部に異動して二十四歳の若さで副編集長にまで上り詰めた。  娘ほどに歳の離れた美沙とは不思議とウマが合い、彼女が文芸編集者だった頃には仕事の相談はもちろん、恋愛の相談も受けたものだ。  幼少の頃に病気で父親を失い、母子家庭で育った美沙の環境も影響しているのかもしれない。  美沙曰く、部長は見た目まあまあのイケオジですけど、人畜無害の優しいおじさんだから、第二のお父さんとして安心して相談できます、とのことだった。  こういうふうに言われたのは、美沙が初めてではない。  昔から豊は女性陣に、危険な感じがしない安心な人、という表現をよくされてきた。  考えてみれば、豊を人畜無害な男として扱った第一号の女性は……。  豊は開きそうになる記憶の扉を閉め、イラストレーターから送られてきた児童文学「ハチミツ村を飛び出したクマ姫」の装丁のラフデザインに集中した。  装丁は、キャミソールワンピースを着たクマの女の子がドレッサーの前で口紅を塗っているというデザインだった。 「だめですか?」  美沙が焦れたように訊ねてきた。 「ハチミツ村を飛び出したクマ姫」の担当は美沙であり、「童夢ファクトリー」史上一番のベストセラーになると鼻息が荒かった。 「たしかに児童文学としては斬新は斬新だけど……」 「だけど……なんですか? だめならだめって、はっきり言ってください」  美沙がカウンターテーブル越しに圧をかけてきた。  美沙の勝ち気な仕草に幼い頃の彼女を重ね合わせ、豊は口元を綻ばせた。 「小学生が対象の本の表紙には、相応しくないような気がしてさ」  豊は穏やかな口調で感想を述べた。  「社長、いまは昭和でも平成でもなく令和ですよ? いまどきの小学生と言えば男の子は生成AIのエッチな動画を見たり、女の子と言えば憧れの職業のトップ3にキャバ嬢がランキングされる時代なんです。クマの女の子が露出多めの服着てルージュ引くくらい、刺激的でもなんでもないですよ。それに、物語自体がおしゃまなクマの女の子がハチミツ村を飛び出して、いろんな誘惑があったり好奇心で危ない世界に飛び込んだりっていうハラハラドキドキの内容なんですから。これくらいの表紙で、ちょうどバランスが取れますよ」  美沙が力説した。 「生成AIのエッチな動画にキャバ嬢!? 本当に、いまの小学生はそんな感じなの!?」  豊は素頓狂な声で訊ね返した。  「そんなことで驚いてるんですか!? その程度のことは、まだましなほうですよ。進んでる子になると、AI彼女やAI彼氏を生成してつき合ったりしてますから」  美沙が呆れたように言った。 「AI彼氏にAI彼女……そんなの、ごく一部の稀な例だろう?」  豊は狐に摘まれたような気分で訊ねた。 「ごく一部どころか、生成AIのエッチな動画を見たことのある小学生なら七割はいると思いますよ」 「な、七割……」  豊は言葉の続きを失った。 「女の子の憧れの職業だって、キャバ嬢よりはランキングは下ですけどAV嬢だって入ってる時代ですから」  豊は絶句した。 「社長はよく言えばピュアで、厳しい言いかたすれば頭の中がセピア色です」 「頭の中がセピア色?」  豊は怪訝な顔で美沙の言葉を繰り返した。 「考えが古いってことですよ」  美沙がクスクスと笑いながら言った。 「古いかぁ。でも、なんでもかんでも時代に合わせる必要はないと僕は思うんだ。自信を持って伝えたいことなら、古くてもいいんじゃないかな? 古くても、いいものはたくさんあるからね。たとえば、伝言板とかさ」 「伝言板って、なんですか?」  美沙が首を傾げた。 「そうか。君は伝言板を知らない世代なんだね。駅の構内なんかに伝言を残すために置いてある黒板を見たことないかな?」  豊の問いに、美沙が首を横に振った。 「友人や恋人と待ち合わせしているときも、携帯電話がない時代には急な予定変更や遅れた相手に連絡手段がないから伝言板を利用していたんだよね」  豊は懐かしさを感じながら説明した。 「でも、待ち合わせ場所に行けなくなったとか先に行くとか掲示板に書かれても、読まない可能性がありますよね……っていうか、そもそもその掲示板がある場所に行くこともない可能性が高いから無意味ですよね。多分、待ちぼうけになっちゃいますよ」  美沙がにべもなく言った。 「そうそう。だから、当時の映画やドラマはハラハラドキドキさせてくれたよね」 「ハラハラドキドキ?」  美沙がふたたび首を傾げた。 「うん。恋愛ドラマなんかでもさ、大切な記念日に彼女が二人の思い出の場所で待ってるんだけど、彼氏のほうに交通事故やら仕事のトラブルやらでアクシデントが起こって行けなくなって、事情がわからない彼女は大切にされていないと失望して二人の絆に亀裂が入る……みたいなね。そうじゃないんだよ! とか、彼氏は向かおうとしていたんだけどアクシデントが起きてしまったんだよ! とか、視聴者はやきもきしながら物語に引き込まれていったんだよね。連ドラだったらその話題だけで次の放映までの一週間、家族や仲間内で盛り上がったりさ。でも、いまは携帯電話一本、LINE一通で待ち合わせ場所に行けない事情を相手に説明できるわけでしょ? ハラハラドキドキする機会を奪われてしまった令和の時代は、ときめきストーリーを生み出すのが難しくなったと思うよ」  豊はしみじみとした口調で言った。  創作に携わる仕事を生業にしている豊は、SNSの進化によって大きく変わった価値観に戸惑いを覚えていた。  とくに価値観の変化は、この十年で顕著になった。 「社長の言いたいことはわかります。私も八十年代とか九十年代のドラマを配信で観ることありますけど、そういうすれ違いとか誤解的なものはいまの子たちにはまったく刺さらないと思います」  美沙が豊を一刀両断した。 「ずいぶんバッサリと斬り捨てるね」  豊は苦笑した。  美沙は言葉にオブラートをかけずに思いを伝えるので誤解されやすいが、豊は彼女の心根が素直で優しいことを知っているので気を悪くすることはなかった。  それに、慣れていた。  豊は、美沙よりももっと切れ味鋭く思いを伝えてくる女性を知っている。  その女性には、たくさん傷つけられてきた。  その女性だけを、みつめ続けてきた。  その女性には、たくさん振り回されてきた。  その女性だけを、愛し続けてきた。 「いまの時代はイントロのない歌ばかりだし、動画も早送りで観るし、ショート動画や切り抜き動画全盛だし……いまの子たちには、まどろっこしい展開の物語はウケませんから」  美沙の言葉に、記憶の中の彼女の天真爛漫な笑顔が消えた。 「そんなものかな」  豊は呟いた。 「そんなものですよ。『ハチミツ村を飛び出したクマ姫』は小学生と小学生の子を持つパパやママたち……つまり、私と同年代の二十代後半から三十代前半の親たちが対象です。だったら、装丁イメージも社長世代じゃなくて令和の感性に合わせたほうがいいと思います。私の言う通りにしてたら、大ヒットは間違いないですから」 『豊ちゃんは私の言う通りにしてればいいの! 子供の頃から、そうだったでしょ?』    自信満々に言い切る美沙の声に、高校時代の彼女の声が重なった。 小説家、実業家、映画監督。1998年に『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞し、デビュー。“黒新堂”と呼ばれる暗黒小説から“白新堂”と呼ばれる純愛小説まで幅広い作風が特徴。『無間地獄』『カリスマ』『悪の華』『忘れ雪』『虹の橋からきた犬』『そのヘビ、ただのヒモかもよ!』『シン人間失格』など、著書多数。芸能プロダクションも経営し、その活動は多岐にわたる。