ニュース

「オニツカタイガー」と「ナイキ」で分かれた明暗。中国、ヨーロッパで顕著な差が出たワケ

 アシックスのカジュアルブランドである「オニツカタイガー」が好調です。2025年1-3月の売上高は前年のおよそ1.6倍に急拡大しました。日本ではインバウンド需要が強く、中華圏、東南アジア、欧州など幅広い地域で支持されています。  一方、王者ナイキは苦戦を強いられています。オニツカタイガーがシェアを拡大するチャンス到来かもしれません。
オニツカタイガー 新宿南

オニツカタイガー 新宿南

オニツカタイガーの由来は…

 オニツカタイガーは1949年に靴の卸問屋・鬼塚商会が日本初のバスケットシューズを開発したことから始まりました。工場長が遊び心で靴底に虎マークを入れると、創業者の鬼塚喜八郎氏がそれを気に入り、「鬼塚」と「虎」をとってオニツカタイガーと命名されました。  ランニングシューズやトレーニングシューズをスポーツ選手が好んで使うようになり、1960年代に入って世界的な知名度を高めます。  第1次オイルショックの景気低迷を乗り切るため、1977年にジィティオ、ジェレンクという会社と合併し、総合スポーツメーカーのアシックスが誕生します。鬼塚氏は社長に就任しました。アシックスの誕生とともに、オニツカタイガーのブランドは一度消滅します。

映画「キル・ビル」で一躍脚光を浴びる

 1990年代にハイテクスニーカーブームが起こりました。ナイキの「エアマックス」が数十万円で取引されるようになり、追い剥ぎのような「エアマックス狩り」が横行する事態にまで発展。その猛烈なブームがひと段落すると、揺り戻しのごとくローテクスニーカーに注目が集まるようになります。空前のアメカジブームの中、コンバースの「オールスター」は定番アイテムとなりました。  このタイミングで復活したのがオニツカタイガーでした。2002年にブランドのアイコンシューズである「MEXICO 66」を発表します。レトロテイストのスニーカーがヨーロッパで評判を呼び、日本に逆輸入する形で知名度を高めました。更に2003年に公開された映画「キル・ビル」で、主役のユマ・サーマンがオニツカタイガーのスニーカーを履いたことで注目を集めます。
次のページ
中国で“ナイキ離れ”が起きるワケ
1
2
3
フリーライター。大企業から中小企業まで幅広く経営支援を行った経験を活かし、経済や金融に関連する記事を執筆中。得意領域は外食、ホテル、映画・ゲームなどエンターテインメント業界
記事一覧へ
【関連キーワードから記事を探す】