「昔は健常者のふりをしていた」聴覚障がい、トゥレット症ーー障がい当事者の“不自由な日常”を世間に発信し続けるワケ
自分の意思に反して体が動いてしまう“トゥレット症”の酒井隆成さん。2019年、大学在学中に出演したAbema TVの番組が話題に。以来、CBCのドキュメンタリー番組に出演し、2024年には自身初となる著書『トゥレット症の僕が「世界一幸せ」と胸を張れる理由』(扶桑社刊)を出版するなど、トゥレット症の日常や経験を伝える情報発信を精力的にを行っている。
一方、聴覚障がいをもつ難聴うさぎさんは、著書『音のない世界でコミュ力を磨く』(KADOKAWA)も持ち、SNS総フォロワー77万人を誇る人気YouTuber。企業と連携し「骨伝導のイヤホン型集音器」開発したり、日本聴導犬推進協会のアンバサダーに就任するなど、活躍の幅を広げている。
今回、酒井隆成さんと難聴うさぎさんの対談を実施。障がいとの向き合い方や自己実現などについて語ってもらった。
――まずは、おふたりの生い立ちについて教えてください。
難聴うさぎさん(以下、うさぎ):私は生まれつき、耳が聞こえません。1歳半くらいのときに両親が名前を呼んでも私が気づかないからおかしいと思い、病院へ連れて行ったんです。検査をしたら聞こえていないことがわかり、補聴器をつけるようになりました。
補聴器ですべてが聞こえるわけではありませんが、両親や周りの人はみんな健聴者なので手話ができず、それを習得したのは4年前ほど前です。それまでは、読唇術だけでコミュニケーションをとっていました。
酒井隆成さん(以下、酒井):僕はトゥレット症候群という、勝手に体が動いてしまったり声が出てしまったりする病気をもっています。人によって症状は違いますが、病気が発症したのは小学校2年生の頃です。
体育館で体育座りをしているときにじっとしていられず、あぐらをかいて先生に怒られたのをきっかけに自覚しました。それからどんどんひどくなって、現在に至ります。
うさぎ:私はテレビの音も聞こえないから、世間の常識がわからなくて苦労しました。テレビの字幕の漢字にはふりがながついていないから、読み方がわからないことがあって、今でも読めない漢字は多いです。
発音するときのイントネーションもわからないから、お母さんがよく教えてくれました。例えば「ご縁」を「5円」のイントネーションで発音していたところ、「『お年賀』って言えばいいんだよ」とお母さんがアドバイスしてくれました。「お年賀」が「ご縁が」になるんです。
酒井:同じイントネーションの別の言葉に置き換えて教えてくれたんですね。
うさぎ:そうなんです。そんな感じで、両親にはいろいろ教えてもらいました。
酒井:うちの家族は僕のことをすごく思ってくれるのですが、病気が発症した当時は、母親との関係が少し大変でした。僕の声が大きいから、母は耳が痛くなっちゃうんです。
うさぎ:それは大変でしたね。私だったら聞こえないから大丈夫(笑)。
酒井:確かに! 相性がいいかもしれないですね(笑)。高校までは実家にいたので、それまでは母といつもケンカしていました。僕が2階で大きい声を出しながら宿題やゲームをやっていると、母がすぐに階段を駆け上がってきて「うるさい!」と。
大学生になって一人暮らしをするようになってから適切な距離をとれるようになり、今ではめちゃくちゃ仲良しです。家族は一緒にいるべきという考え方もありますが、この病気に限っては、離れたいと思ったらすぐに離れるべきだと思いますね。
――幼少の頃につらいことはありましたか?
うさぎ:私は相手の口の動きを見て話を聞いているので、大人数の人が一気にしゃべると読み取るのが間に合わなくなります。人とコミュニケーションをとるのが好きなのに、会話の中に入れなかったことがつらかったですね。
酒井:僕は、いちばん仲がいいと思っていた友達が、病気への理解がいちばんなかったことがすごくつらかったです。ここ2~3年でトゥレット症の認知は広まりましましたが、当時は誰も知らないから、「なんだよ、お前。それ、“うんうん”障がい病かよ」などと笑われたりしました。
自分が周りの人とは違うんだというショックは、とても大きかったですね。今は全然大丈夫ですが、当時は明るい性格じゃなかったので……。うさぎさんは、昔から明るかったですか?
うさぎ:好奇心がとても旺盛だったんですけど、大人数の中に入ることにはネガティブでした。今はスマホのアプリもありコミュニケーションがとりやすくなりましたが、昔は聞こえていないことをあえて言わず、健聴者のふりをしていました。学校のみんなが知っているのにジロジロ見られるのが嫌で、補聴器も隠していました。
酒井:同じですね。昔のほうが体が動くことは少なかったので、「なんかそわそわしている人」みたいな感じで、健常者と同じように振る舞っていました。でも、なにかのタイミングで吹っ切れるようになるんですよね。
うさぎ:私は、中学3年生のときでした。人権作文コンテストがあり、書くことが思いつかなかったから、自分の耳のことについて書いたんです。一気に4枚書き上げて提出したら職員室に呼ばれて、国語の先生に「あなたの作文がクラスでいちばんよかった」と褒められ、「ぜひ全校生徒の前で読んでほしい」と頼まれました。
酒井:すごいですね。
うさぎ:それまで耳を隠していたし、全校生徒の前で読むことは勇気のいる挑戦でした。でも、この4枚の作文で溜まっていた思いを全部訴え、吹っ切れました。「教えてくれてありがとう」と言ってくれる人もいて、みんなの顔色も変わった。なにかを発信することの大切さを実感しましたね。
酒井:僕が吹っ切れたのも似たような体験で、高校3年生の作文コンテストで病気のことを書いたら佳作賞をとりました。それもあって、大学に入ってから世の中に病気のことを発信する活動を始めたんです。思っているよりも、つらいことって乗り越えられるんですよね。
うさぎ:それにはコミュニケーションが重要ですよね。
酒井:そうですね! 子どもの頃、病気のことをあまり人に言わなかったことで苦しんだので、伝えることで理解してくれる人が思ったよりもいることがわかりました。
相手がそっけない態度とか嫌な顔をしてくるというのは「病気のことを知らないから、僕がわざと声を出していると思っているんだ」と考えるようになり、電車内で反応した隣の人とかには「ごめんなさい、病気なんです」とすぐに伝えます。こうしてオープンにしていると、嫌だと思う人は離れていくので、周りにはいい人しか残りません。
うさぎ:コミュニケーションをとるときに意識しているのは、相手の話を聞くことですね。聞く行為は私にとって大変な作業ですが、一生懸命聞いていると、「理解しようとしてくれているんだ」と相手が心を開いてくれます。
酒井:僕にはトゥレット症のほかに注意欠如・多動症(ADHD)の特徴もあるので、社長やパートナーの話をよく遮ってしまうのが最近の悩みですね……。
うさぎ:治らない場合は、「こういう自分なんだ」ということを事前に教えておけば大丈夫だと思いますよ。
酒井:たしかに! ちょっと悩みが消えました。ありがとうございます(笑)。
トゥレット症、難聴……障がいとどう向き合ってきたか
昔は“健常者のふり”をしてしまっていた
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