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【江本孟紀】今の巨人には「若手のころの坂本のような選手」が必要だ。「根性」という言葉を肝に銘じるべき

 今の巨人にはどんな選手が必要なのか。それは、「四の五の言わず、自らに厳しい練習を課すことができる選手」である。  巨人を計17年間率いた原辰徳から、こんな話を聞いたことがある。 ※本記事は、江本孟紀著『長嶋亡きあとの巨人軍』より適宜抜粋したものです。
坂本勇人

2007年の原辰徳と坂本勇人 ©産経新聞

若かりし坂本勇人を起用し続けたワケ

 2006年のドラフトで1位指名された坂本勇人だ。ルーキーイヤーはプロの体つきにはほど遠く、技術も未熟だった。だが、走攻守に光るものを感じた原は、1年目のシーズン終盤に一軍に呼んだ。そして、翌2008年シーズンからは、二岡に代わってショートのポジションを任せた。  ただし、原からすると、当時の坂本はまだレギュラーを確約できるほどの実力を持っておらず、いわば見習い期間のようなものだった。打撃面においては、インコースのさばき方に目を見張るものがあったものの、まだ穴が多い状態。守備はいうと、一軍半レベルの未熟なものだった。  そこで原は坂本とこんな約束をした。 「試合前にオレがノックを打つから、徹底的に守備練習をやろう。毎日準備して待っているから。疲れていても弱音を吐かず、必ずグラウンドに出てくるんだぞ」  ただ、そうは言ってみたものの、シーズンが進むにつれ、坂本の身体には明らかに疲労が蓄積していた。次第にスイングが鈍り、なんでもないゴロをグラブからはじくなど、安定感に欠ける場面が徐々に増えていく。

晴れやかな表情を浮かべた坂本を見て「迷いはなくなった」

 このときの原は、迷っていた。  「たしかによく頑張っていましたが、『もう無理だな』と思うことが、日を追うごとに増えていったんです。東京ドームで試合がある日、自宅を出て車で走っているとき、『ほかの選手をスタメンにしよう』と考えたのは、一度や二度ではありまぜん」   逡巡しながら監督室でユニフォームに着替えていると、「コンコン」とノックする音が聞こえる。ドアの開いた先には、練習用ユニフォームを身にまとい、グラブを持った坂本の姿があった。 「おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」  すがすがしい笑顔を浮かべた坂本からは、疲れたそぶりなどみじんも感じられない。 「ようし、わかった。すぐに行くから先にグラウンドに出て準備していなさい」  原がこう返すと、坂本は晴れやかな表情を浮かべ、その場をあとにした。 「はつらつとしているうえ、目がギラギラしているんです。いわば野心がむき出しの姿を目にしてしまうと、迷いは一切なくなりました。『ようし、今日もスタメンで行くぞ』と。そんな毎日を積み重ねて、気づけばシーズンを終えていた。シーズン中は辛いことも多かったはずですが、1ミリも表情に出さなかった。ドラフト1位で入団したことにあぐらをかかず、たゆまぬ努力を続けていた彼の心の強さは、今振り返っても見上げたものがあったと感心しています」  原は笑顔で当時の様子を振り返っていた。
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若い選手たちに送りたい「根性」という言葉
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1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、71年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、76年阪神タイガースに移籍し、81年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。92年参議院議員初当選。2001年1月参議院初代内閣委員長就任。2期12年務め、04年参議院議員離職。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。2017年秋の叙勲で旭日中綬章受章。アメリカ独立リーグ初の日本人チーム・サムライベアーズ副コミッショナー・総監督、クラブチーム・京都ファイアーバーズを立ち上げ総監督、タイ王国ナショナルベースボールチーム総監督として北京五輪アジア予選出場など球界の底辺拡大・発展に努めてきた。ベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ)、『阪神タイガースぶっちゃけ話』(清談社Publico)をはじめ著書は80冊を超える。
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